やはり、
加計孝太郎氏は、岸信介の孫だったのですね。
安倍晋三にとって加計孝太郎は、「腹心の友」どころか
縁戚関係にあったということです。
ちらほらと
ネット上では囁かれていたことですが、
IWJの岩上安身さんが言うのなら、
本当のことでしょう。
孝太郎氏が、岸の孫であるということは、
孝太郎氏の父の加計勉氏が、岸信介の子供であるか、
もしくは、
孝太郎氏の母が、岸信介の子供であるか、
のどちらかだということになりますが…
こうして、写真を見ると、
岸信介、勉氏、孝太郎氏、美也子氏、
よく似ているので、
おそらく、《加計勉氏が岸の息子》なのでしょうね。
岸信介の孫
孝太郎の姉 加計美也子 孝太郎の父(岸の息子) 加計勉 写真なし
岸の娘 安倍洋子 岸の息子 岸信和
安倍寛信 岸信夫 安倍晋三
岸の妻 良子 岸の長男の信和
つまり、
加計勉と 信和 洋子は、
腹違いの兄妹…
信和(1921年11月生) 妻・良子の子 3歳のとき小児麻痺発症
勉 (1923年3月27日生)
洋子 (1928年6月11日生)妻・良子の子
岸 信介(1896年11月13日 - 1987年8月7日)は、
1920年に東京帝大を卒業し、
農商務省の役人になり、
ほぼ同時期に、表と裏の二つの家庭を持っていたんですね。
岸の父は、佐藤家に婿養子に入り、
その代わりに
息子の信介が、中学3年の時に岸家の養子になり、
年頃になって、父の兄の娘(いとこ)の良子と結婚しました。
(参考)
*①ファシストの系譜
~岸信介は「売られた子供」
*⑤ファシストの系譜
~「殺された子供」岸伸介 & 「生かされた子供」石橋湛山
岸の娘の洋子の三男(晋三の弟)の信夫氏も、
信介の命令で、
洋子の実兄の信和のところへ安倍家から養子に出され、
岸家の子供として育ち、
信夫氏は、大学進学のときに戸籍謄本を取り寄せ、
初めて自分が養子であることを知って衝撃を受けたと言います。
このように、岸家、佐藤家、次代に安倍家を絡めたこの一族は、
閨閥を支える政略結婚だけではなく、
一族の繁栄のために、
「幼い子供を取引する慣例」があったということですね。
《個人》の自由や権利よりも、
《家》の繁栄を最優先とする 彼らの思想は、
安倍晋三の骨の髄まで染み込んでいるのでしょう。
安倍のこの言葉⬇︎は、何度聞いても、恐ろしい。
安倍は、国民ひとりひとりの命のことなど、気にしてはいません。
2010年(平成22年)2月2日
①「頑張れ日本 全国行動委員会」結成集会
15:17~ 安倍晋三の基調講演
安倍「あの本会議で、鳩山さんは、"命を守りたい"と言っていましたね。
医者じゃないんですから。
総理大臣なんですから、 "国を守るんです"よ、
総理大臣の仕事は! 皆さんそうじゃないですか!」
_____________________________________________________________________
2017年6月9日(金)IWJ 有田芳生議員 インタビュー
6/9 文科省は再調査を行う方針を固める。
菅官房長官は、1日2回目のうち、
朝の会見を 萩生田 に代行させ、行わなかった。
前川喜平 前事務次官
「あの文書は、私が担当者らから
報告を受けた資料の中にあるものと同一ですから、
普通に探せばすぐに見つかるはずです。
それを大臣が確認できなかったと言わされている。
後輩たちも嘘をつかされている。」(文藝春秋 手記より) ⬇︎
【特集】驕れる安倍一強への反旗
①前川喜平前文科事務次官手記
わが告発は役人の矜持だ
官邸の圧力、天下り問題、醜聞報道……私に起きた出来事のすべて
②加計が食い込んだ下村元文科相夫妻 森功
③安倍改憲案 読売新聞には驚いた 石破 茂
6/18が会期末。
共謀罪を強行採決で成立。
文科省文書 調査結果の追求の場がなくなる。
会期延長はないだろう。
__________________________________
IWJ会員インサイド部分の 有田氏インタビュー聞き取り
【自分用メモ】
・有田芳生議員は、オウム事件のとき
1日延50人の捜査員が尾行し、電話盗聴などもされていた。
上祐史浩幹部が自宅に電話してきて、
「教団を自主解散したい」という相談を受けた。
翌日、オウムの南青山本部に行って上祐に会った。
2-3日後に上祐は逮捕された。
・菅官房長官は「怪文書のようなもの」と流出文書を一蹴した会見後、
オフレコで、「あの文書は前川氏がリークした」と記者に言っていた。
つまり、怪文書などではなく文科省の文書であることを知っていた。
・読売新聞も前川氏の「出会い系バー」記事は、
御用新聞に成り下がったと批判された。
記事は政治部が上からの圧力で書いたいわゆる〈訳あり記事〉であったが、
読売新聞・社会部 部長が謝罪文を出し、
民主党のヒアリングの席で読売記者が泣き出した、などの珍事があった。
・読売新聞「前川 出会い系バー通い」記事は、
山口社長(山口組と言われている)がトップダウンで書かせた。
・読売新聞は、かつては黒田清 黒田軍団 大阪読売記者社会部の
素晴らしい取材の伝統がある。
オウム事件の1995年正月 読売 元旦スクープ として、
「上九一色村でサリン残留物がみつかった」が出た。
オウム事件の真相解明につながる地道な取材をやってきたのが、
読売新聞 社会部であった。
・読売新聞 社会部は、黒田清 大西 本田靖春など優れた記者がいた。
素晴らしい仕事をする社会部を、ナベツネの元で政治部が潰してきたのが、
読売新聞の歴史。
安倍の国会での「読売を熟読せよ」発言、
ナベツネと安倍の会食は30回。尋常ではない。
読売新聞は、「安倍政権の機関紙」に成り下がった。
・森友問題も加計問題も、最初に記事を書いたのは、朝日新聞。
・菅官房長官の会見で食い下がって質問しているのは、
東京新聞の望月記者。
「内部でもひとり浮いていて「怖い」」と岩上氏にメールあり。
・5/28 日本テレビ「そこまで言って委員会」の前川ネガキャン。
たかじんの死後の番組の劣化甚だしい。
須田慎一郎「裏どりした」取材の核心部分はP音で隠し印象操作。
P音部分は「ホテルか?」という荻上チキの質問に須田は「ノーコメント」
捏造の疑惑あり。日本テレビは説明責任がある。
須田慎一郎は、ニュース女子、オウム事件でも捏造報道をした前科がある。
・1995/3/20 地下鉄サリン事件、3/22 強制捜査、
信者は散り散りに逃げ、
4月には、麻原はどこにいるのかが焦点になった。
捜査員は、麻原は上九一色村の教団施設にいることは掴んでおり、
逮捕までの数日間は、隠し部屋にいた。5月に麻原逮捕。
須田慎一郎は、〈嘘の取材ノート〉まで見せ、
「京都のブライトンホテルで麻原にインタビューした」とTVで語った。
須田は売名のために完全な捏造を行なった。相当 病んでいる。
・捏造 詐話師 須田慎一郎の冠ラジオ番組に
安倍は、立て続けに2回出演。
6/4放送 で、須田は、木曽に取材したことを匂わせる。
「今日、番組直前に内閣府の元役人さんに、たまたま話を聞いた。
文科省と獣医学部の議論をしていたその元役人(おそらく木曽)は、
加計孝太郎が安倍さんと友達とは知らなかったと言っていた。」
・岩上氏
「(須田氏は)本当に取材したんですかね。
岸の孫ですよ。加計孝太郎さんていう方はね。
縁戚じゃないですか。血がつながっている。
そんなネポティズム、一族のために、行政を歪めようという話ですよ。」
↧
【妖怪・岸信介の子孫】安倍 × 加計の蝕害 / 加計孝太郎も岸の孫
↧