みなさん、「ゴジラ」と「巨災対」の
どちらに感情移入します?
▪️ゴジラ
背景= 光・太陽・赤
ゴジラ=顕・黒々とクッキリしたシルエット
▪️ティタラボッチ(シシ神)
背景= 闇 ・月星 ・青
ティタラボッチ=密・煌めく光を纏うゲル状のシルエット
太陽のような真っ赤な背景に
巨大不明生物 ゴジラの黒々としたシルエット。
もののけ姫の森の神、シシ神の夜の姿、
闇の青を背景にし天空の星々の光の粒子を纏うティタラボッチ。
ゴジラとティタラボッチは、
光と影、表と裏、顕と密…
私の中のゴジラ的なものは、
ずーーーーっと、
ティタラボッチのように、
ボ〜っと形の定まらない半透明の姿で、
ちょっと不思議な鼻歌を歌いながら、
呑気に遊歩していましたが……
3.11以降、だんだん、形がくっきりしてきて、
シン・ゴジラのように何段階かを経て、
巨大なゴジラ化しているような気がします。
何故なんだ?!
ゴジラって辛い!
…っていうか、
ゴジラの中の極限環境微生物の気分だな。。
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今から35年前、
驚愕のアメリカ公文書の存在がスクープされた。
…が、世間からは、ほとんどスルーされた。
「指揮権密約」
=戦争になれば、自衛隊は米軍の指揮下に入る。というものだ。
占領終結直後の1952年7月23日と、1954年2月8日の2度、
当時の吉田茂首相が極東米軍の司令官と口頭でその密約を結んでいる。
その事実を本国へ報告したアメリカの公文書を、
獨協大学名誉教授の古関彰一さんが発掘し、
1981年5月22日号と29日号の『朝日ジャーナル』が伝えた。
この内容は、矢部宏ニ氏の
近著『なぜ日本は戦争できる国になったのか』の内容でも
中核となるものだった。
日本は、大日本国憲法下では、
憲法の上位に天皇の存在があったが、
敗戦後は、そのシステムを利用し、
そのまま、天皇の位置に米軍が座った。
具体的には、敗戦以降、
月に一度開かれる「日米合同会議」において、
米軍から直接日本の官僚に指令を下され、
その決定事項が、憲法よりも優先される。
憲法よりも日米安保条約の方が上位にある。
そのことが、はっきりと表面化したのが、
司法に米軍が干渉し判決が下された
砂川事件である。
日本が「原発」「基地」を止められないのは、
日米間の歪んだ法体制にあるのだ。
1952年旧安全保障条約と同時に発効した
「日米行政協定」は、
1960年、岸信介によって、新安保とともに、
「日米地位協定 」に改正されたことになっているが、
事実は、
改正したように見せかけ、裏で密約を交わし、
前の酷い協定内容がほぼそのまま引き継がれていたのである。
つまり、
「日米行政協定(旧安保時代)=日米地位協定 (改正)➕ 密約 」
という内容であり、
アピイアランスだけで国民を欺いていたのである。
密約の主な内容は、
基地権密約 (=日本の領土を自由に使う権利)
指揮権密約 (= 自衛隊を指揮する権利)
米軍基地の75%が集中する沖縄で
頻発する米軍の事故事件が、基地外で発生したものでも、
にほんがわが捜査し裁くことができないのも、
この基地権密約によるものだ。
(国際問題研究者・新原昭治氏による解禁文書調べ/その他「核密約」)
指揮権密約とは、
実は、朝鮮戦争から続く
日本の軍を指揮権を米軍が持ったままで構わないというもの。
第二次大戦後、
朝鮮戦争を戦う米軍を補完する体制が日本に作られ、
それが現在も続いているのである。
朝鮮戦争は、アメリカが苦しんだ戦争である。
アメリカは、日本の兵站、日本の海上保安庁の参戦によって
戦況を盛り返した。
日本は占領下であったこと、有利な講和条約を結ぶため、
兵站、掃海などの戦争協力を行った。
これによって日本は朝鮮特需の恩恵を得た。
そもそも、自衛隊は、
1950年に朝鮮戦争勃発後、ポツダム政令にできた警察予備隊であり、
アメリカが作ったものである。
警察予備隊創設の責任者だったF・コワルスキー大佐は、
その内情を記録していた。
「警察予備隊はわれわれの創造した、
われわれの作品といっても過言ではなかった。
こうした方法と状況のもとに創設された軍隊は、
世界の歴史上どこにも存在しないだろう。」
「結局、警察予備隊は米軍を小型にしたようなものになった。」
「アメリカからも連合国からも、
また共産圏からもきびしい抗議がなかったので、
われわれは気をつけながら、(略)
米軍のあまった武器を警察予備隊に押しつけるようなかたちで、
着々と再軍備を進めていった。
一方、吉田首相はそうした事実を否定し、
警察予備隊は警察力以外のなにものでもないと、
断固として主張しつづけていた。」
指揮権密約は口頭で行われたが、
吉田首相 外務大臣は国民には秘密にすることを求めた。
アメリカの報告書として文書が残っている。
そして、経済成長の中にあった国民は、何も知らされぬまま、
日米両政府は、徹底して憲法破壊を行ったのである。
冷戦崩壊後、反共の砦としての日本の役割はなくなり、
自衛隊は、米軍による指揮権を渡したまま、
現在、安倍政権は、着々と戦争をするための法体制を整えている。
秘密保護法、盗聴法、
昨年夏、ついに、安保法を強行成立させ、
集団的自衛権を使えるようになった。
米軍の下部組織として、
自衛隊は海外に出ることになる。
そして、現在、
自民党改憲草案に基づく
改憲に大手をかけている。
その改憲案は、
天皇を元首とするもので、
大日本国憲法に先祖返りするような
人権を無視したものである。
安倍首相は、
この自民党改憲下で、
新自由主義を推し進める
アメリカ従属の独裁国家体制の独裁者として、
体制を完成しつつある。
3.11以降、
危機感を感じた国民は、様々な抵抗運動を行ってきたが、
最も権力による圧力を受け続け、
現在、最もこれに、強く抗っているのが、
「沖縄」と「今上天皇」なのではないだろうか?
沖縄を切り捨てた父、昭和天皇の罪。
今上天皇はの沖縄への深い思いは、
今回のお気持ちの表明の中にも示されていた。
「国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
◆昭和天皇と沖縄 《天皇の罪》
天皇メッセージ(1947)
同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、
宮内庁御用掛の寺崎英成を通じて
シーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた
天皇の見解をまとめたメモである。
沖縄県公文書館【資料コード:0000017550】
内容は概ね以下の通りです。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
メモによると、
天皇は米国による沖縄占領は、
日米双方に利し、
共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしている。
象徴天皇制の下での、
昭和天皇と政治の関わりを示す文書として、
筑波大学名誉教授・新藤栄一氏が、
1979年米国から帰国後、沖縄分割に関する天皇メッセージ電文を発掘し、
掲載した論文「分割された領土」(『世界』1979年4月号)を発表した。
◆今上天皇と沖縄 《天皇の謝罪》
1975年7月17日、皇室としての第二次世界大戦後初の沖縄県訪問に際し、
ひめゆりの塔を訪問し献花しようとした
皇太子、美智子妃妃に、潜伏していた洞窟(ひめゆりの壕)や白銀病院から
火炎瓶やガラス瓶、スパナ、石を投げつけたテロ事件。
「私たちは沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷跡を深く省み、平和への願いを未来につなぎ、ともどもに力をあわせて努力していきたいと思います。払われた尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません。」(初めての沖縄ご訪問の折、ひめゆりの塔で火炎瓶事件があった夜に県民に対して発表されたメッセージ・昭和50年7月17日)
1987年、初めて沖縄訪問する予定であった昭和天皇(1989年崩御)が、
直前に病臥し、名代として皇太子が、沖縄海邦国体のための「おことば」を代読した。
「さきの大戦で戦場となった沖縄が、島々の姿をも変える甚大な被害を蒙り、一般住民を含む数多の尊い犠牲者を出したことに加え、戦後も長らく多大の苦労を余儀なくされたことを思う時深い悲しみと痛みを覚えます。
ここに、改めて、戦陣に散り、戦禍にたおれた数多くの人々やその遺族に対し、哀悼の意を表するとともに、戦後の復興に尽力した人々の労苦を心からねぎらいたいと思います」
沖縄 高江ヘリパッド建設反対運動
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ボクの「気持ち」はゴジラ化寸前 〜沖縄県民の「気持ち」今上天皇の「お気持ち」
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