2018年5月3日 憲法記念日
「第20回公開憲法フォーラム」安倍ビデオメッセージ
「この1年間で憲法改正の議論は大いに活性化し具体化した」と語った。
松本清張は、
1978(昭和53)年1月号「諸君!」寄稿
「「万世一系」天皇制の研究(略)」の末尾にこう語っている。
「これは招来の万一のばあいをいう憶測だが、
憲法第九条の副文の解釈が拡大されるような事態となったとき、
第一条に規定された天皇の
儀礼的な国事行為が、儀礼的ではなくなり、
第九条の副文と合流するのではないか、
という遠い空を望んでの杞憂も起こらないではない」
清張の戦争体験
戦争末期1944年6月、清張 34歳。
家族6人を抱え、小倉の朝日新聞社の版下職人をしていた清張の元に
突然の召集令状が届く。徴兵検査では身体虚弱で第二乙種だった。
赤紙一枚で中年一兵卒として戦争にかり出された。
軍隊用語の「ハンドウを回す」という言葉は腹いせ的な懲罰のことを言うが、
清張はハンドウを回されたのだ。
清張は仕事が忙しく教育教練にあまり出席していなかったため、
市役所兵事係が嫌がらせのために恣意的に召集されたのだった。
朝鮮半島で衛生兵として務めるが、
そこでは古参兵の理不尽な私的制裁が横行し、
ニューギニア戦線送りの恐怖に怯える日々だった。
1945年10月末、家族の疎開地の佐賀に帰還した。
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【安倍ビデオメッセージ】40年前の松本清張の杞憂
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