元内閣広報官・元内閣総理大臣補佐官の長谷川榮一が、安倍ストーリーを喋る語り口、声のトーンや抑揚、誰かに似ている気がしていたが、誰に似ているのか、もやもや思い出せそうで思い出せなかった。
そして、今日、ふと ”ああ、そうだ” と。
ジブリの鈴木敏夫さんだ。
安倍政権の内閣広報官 兼 総理補佐官とジブリのプロデューサーの声色、これが、そっくりなのだ。
安倍政権とジブリには、なんの関係性もない。全くない。
けれども、二人は、衆目に晒されつつ大衆を操る”魔の組織”を支える魔術師のような存在なのだろう。
世界中で愛されたジブリ作品の素晴らしさは言うまでもない。
しかし、ジブリの魔術眼鏡を外して裸眼で見れば、ジブリという会社は、ブラック企業そのものなのだ。
ジャニーズ事務所が、未成年労働者を性的に搾取してきたことが問題化しているが、ジブリという会社も、労働者を長時間低賃金労働で搾取してきたのである。
ジブリという会社自体、人間魚雷「回天」や、潜水特攻隊「伏龍」、艦上戦闘機「ゼロ戦」で若い日本兵に自爆攻撃を強いた大日本帝国と地続きなのかもしれない。
そうすると、ジブリ映画を熱愛するジブリファンと、日の丸を振り万歳三唱して日本軍を讃えた臣民は重なることになる。
それが『風立ちぬ』という映画の一筋縄ではいかないところなのかもしれない。
ジブリ 鈴木敏夫
東日本大震災発生時のジブリ
平井文夫の時事チャンネル】安倍長期政権を支えた官邸広報」長谷川榮一氏 Part3「側近が見た二度の辞任~傑出したリーダーの苦悩と山登り」 #平井文夫 #長谷川榮一 #長谷川栄一 #官邸広報 2022/05/18
長谷川榮一(経産官僚。元内閣広報官・内閣総理大臣補佐官)
トーク アバウト文字起こし
第一回目は、実は私と当時は安倍善総理、SPさん2人、4人だけですから。
私も安倍さんが退院されてまだ間がないので、まず黙々といこうということで行けるところまで行って。
むしろ途中で休憩とりますか?という合いの手みたいなのはありましたけど。
(じゃあ黙って登る?)
そうですね。そうしたら偶然で山頂近くでお弁当を食べるところで、成蹊の安倍総理の一年後輩が4人来てたんですよ。
…12月初めのまだあったかい紅葉があるじきだったので…
次のエレベーター待ちで100人ぐらいの方が待ってるんですが、その時にあるご婦人が「あ、安倍さん元気になられたんですね。よかったですね」というちょっと高い声がすごく響いたんです。それが安倍さんにはジンと来て「俺はあんな辞め方をしたのにこういうふうに言ってくれるんだ」という、まあそこから始まるんですが。
本当は「行こうよ」と言ったのは安倍さんなんです。
(チーム安倍が浪人する5年間を象徴するようにもみえる)
2月に今度は秘書官に声をかけていくんですけど。
あの東日本大震災がおこるわけですね。
山登りにまいりましたのは2009年の12月で、2010年から春秋、春秋と始まるんですが。
それから約一年ですか経って、2011年の3月、東日本大震災が勃発するわけですね。
私は当時もう役所を辞めておりましたけれども、とにかく悔しくて、安倍さんの自宅に押しかけて、こういうのを発表してやっぱり東北の復興策、政治家としてはぜひやって下さいというのを持ち込むんですね。
2011年6月くらいから金融を中心にした勉強会のヘッドになり始める。(山本幸三→長谷川→安倍)
(2回目の総裁選で勝ったのは結局金融緩和ですよね?)
2011年6月でしょ。総裁選が2012年9月じゃないですか。だから経済は付け焼き刃じゃなくて勉強したんだと思いいます。ぼくはその勉強会に出てないので。
NCネットワークのチャラさん(中小企業の30代40代)が集めた全国大会で(安倍が)演説をして付き合いが始まる。
(2020年になってコロナで大変でしたと。9月16日をもってチーム安倍は解散しました、とだけしか書いてないんですね)
僕は体調管理とか周りの職責というのじゃありませんので、これは今井秘書官の担当で、彼がその辺の管理をきっちりして。
慶応のお身体をずっと知っている先生と連絡をとりながらやってましたので。
ついに休みを取ると言い始めて、僕も郷里に帰ってあるメディアの方から「慶應病院に行ったんですけど、あれなんですか?」って「え?言っちゃったの?」みたいな感じだったんですね。僕知らなかったんで。その日はだいぶ遅くまで病院にいましたよね。
だけど8月っていうのは官邸は結構忙しい月で、6日、9日、15日という、やはり日本国民としては疎かにできない行事がありますから、それをやって、その隙間をみて病院に行かれたんだろうなと。それにしても長いなと。検査は普段から病状見て大体分かっているから、先生が時間をかけなければいけないやり方だったんだろうなということなんですが。
ただね、たしか8月28日に辞めるという会見をするんですけど。当日の朝刊に会見とでるんですが、こういうトップの進退に、あるところがトクダネを抜くっていうのはあまり良くないんですけど、それは安倍さんがキッチリ管理をされて、28日の午前中に
副総理とか二階幹事長とか、官邸に来てもらって、まあ急な印象はあったかもしれませんね。
https://www.nhk.or.jp/politics/souri/2020/08/28.html
(総裁としての任期を一年残していて、まあ一年後には辞めるんだと。そのときには岸田さんなのか、石破さんなのか、だれなのか分からない状況だった。任期を一年残して、懸案が二つ残っているなかで辞めたということはチーム安倍としては志し半ばの辞任なのか、それともやれることはやったという思いかどっちか?)
できなかったこと、残っていること、いっぱいあるんだけれども、それは日本国として責任を果たすべきなんで、自分ではない方が総理に就いたほうがいいという判断なのだろうと思います。
ーー
第2回の「平井文夫の時事チャンネル」は、元内閣総理大臣補佐官・内閣広報官の長谷川榮一氏を迎えた映像版オーラル・ヒストリーです。
二度の安倍政権を計8年余りにわたって支えたチーム安倍の一員として、歴代最長となった安倍政権の総括と官邸広報の役割、内政・外交含む数々のエピソードを語っていただきます。
📝目次
05:07 野党で迎えた3.11、無力感とやるせなさ
08:31 金融を中心とした超党派勉強会と中小企業経営者との交流
12:08 安倍首相、二度目の辞任
17:53 三度目の登板はあるか
そして、今日、ふと ”ああ、そうだ” と。
ジブリの鈴木敏夫さんだ。
安倍政権の内閣広報官 兼 総理補佐官とジブリのプロデューサーの声色、これが、そっくりなのだ。
安倍政権とジブリには、なんの関係性もない。全くない。
けれども、二人は、衆目に晒されつつ大衆を操る”魔の組織”を支える魔術師のような存在なのだろう。
世界中で愛されたジブリ作品の素晴らしさは言うまでもない。
しかし、ジブリの魔術眼鏡を外して裸眼で見れば、ジブリという会社は、ブラック企業そのものなのだ。
ジャニーズ事務所が、未成年労働者を性的に搾取してきたことが問題化しているが、ジブリという会社も、労働者を長時間低賃金労働で搾取してきたのである。
ジブリという会社自体、人間魚雷「回天」や、潜水特攻隊「伏龍」、艦上戦闘機「ゼロ戦」で若い日本兵に自爆攻撃を強いた大日本帝国と地続きなのかもしれない。
そうすると、ジブリ映画を熱愛するジブリファンと、日の丸を振り万歳三唱して日本軍を讃えた臣民は重なることになる。
それが『風立ちぬ』という映画の一筋縄ではいかないところなのかもしれない。
ジブリ 鈴木敏夫
東日本大震災発生時のジブリ
平井文夫の時事チャンネル】安倍長期政権を支えた官邸広報」長谷川榮一氏 Part3「側近が見た二度の辞任~傑出したリーダーの苦悩と山登り」 #平井文夫 #長谷川榮一 #長谷川栄一 #官邸広報 2022/05/18
長谷川榮一(経産官僚。元内閣広報官・内閣総理大臣補佐官)
トーク アバウト文字起こし
第一回目は、実は私と当時は安倍善総理、SPさん2人、4人だけですから。
私も安倍さんが退院されてまだ間がないので、まず黙々といこうということで行けるところまで行って。
むしろ途中で休憩とりますか?という合いの手みたいなのはありましたけど。
(じゃあ黙って登る?)
そうですね。そうしたら偶然で山頂近くでお弁当を食べるところで、成蹊の安倍総理の一年後輩が4人来てたんですよ。
…12月初めのまだあったかい紅葉があるじきだったので…
次のエレベーター待ちで100人ぐらいの方が待ってるんですが、その時にあるご婦人が「あ、安倍さん元気になられたんですね。よかったですね」というちょっと高い声がすごく響いたんです。それが安倍さんにはジンと来て「俺はあんな辞め方をしたのにこういうふうに言ってくれるんだ」という、まあそこから始まるんですが。
本当は「行こうよ」と言ったのは安倍さんなんです。
(チーム安倍が浪人する5年間を象徴するようにもみえる)
2月に今度は秘書官に声をかけていくんですけど。
あの東日本大震災がおこるわけですね。
山登りにまいりましたのは2009年の12月で、2010年から春秋、春秋と始まるんですが。
それから約一年ですか経って、2011年の3月、東日本大震災が勃発するわけですね。
私は当時もう役所を辞めておりましたけれども、とにかく悔しくて、安倍さんの自宅に押しかけて、こういうのを発表してやっぱり東北の復興策、政治家としてはぜひやって下さいというのを持ち込むんですね。
2011年6月くらいから金融を中心にした勉強会のヘッドになり始める。(山本幸三→長谷川→安倍)
(2回目の総裁選で勝ったのは結局金融緩和ですよね?)
2011年6月でしょ。総裁選が2012年9月じゃないですか。だから経済は付け焼き刃じゃなくて勉強したんだと思いいます。ぼくはその勉強会に出てないので。
NCネットワークのチャラさん(中小企業の30代40代)が集めた全国大会で(安倍が)演説をして付き合いが始まる。
(2020年になってコロナで大変でしたと。9月16日をもってチーム安倍は解散しました、とだけしか書いてないんですね)
僕は体調管理とか周りの職責というのじゃありませんので、これは今井秘書官の担当で、彼がその辺の管理をきっちりして。
慶応のお身体をずっと知っている先生と連絡をとりながらやってましたので。
ついに休みを取ると言い始めて、僕も郷里に帰ってあるメディアの方から「慶應病院に行ったんですけど、あれなんですか?」って「え?言っちゃったの?」みたいな感じだったんですね。僕知らなかったんで。その日はだいぶ遅くまで病院にいましたよね。
だけど8月っていうのは官邸は結構忙しい月で、6日、9日、15日という、やはり日本国民としては疎かにできない行事がありますから、それをやって、その隙間をみて病院に行かれたんだろうなと。それにしても長いなと。検査は普段から病状見て大体分かっているから、先生が時間をかけなければいけないやり方だったんだろうなということなんですが。
ただね、たしか8月28日に辞めるという会見をするんですけど。当日の朝刊に会見とでるんですが、こういうトップの進退に、あるところがトクダネを抜くっていうのはあまり良くないんですけど、それは安倍さんがキッチリ管理をされて、28日の午前中に
副総理とか二階幹事長とか、官邸に来てもらって、まあ急な印象はあったかもしれませんね。
https://www.nhk.or.jp/politics/souri/2020/08/28.html
(総裁としての任期を一年残していて、まあ一年後には辞めるんだと。そのときには岸田さんなのか、石破さんなのか、だれなのか分からない状況だった。任期を一年残して、懸案が二つ残っているなかで辞めたということはチーム安倍としては志し半ばの辞任なのか、それともやれることはやったという思いかどっちか?)
できなかったこと、残っていること、いっぱいあるんだけれども、それは日本国として責任を果たすべきなんで、自分ではない方が総理に就いたほうがいいという判断なのだろうと思います。
ーー
第2回の「平井文夫の時事チャンネル」は、元内閣総理大臣補佐官・内閣広報官の長谷川榮一氏を迎えた映像版オーラル・ヒストリーです。
二度の安倍政権を計8年余りにわたって支えたチーム安倍の一員として、歴代最長となった安倍政権の総括と官邸広報の役割、内政・外交含む数々のエピソードを語っていただきます。
📝目次
05:07 野党で迎えた3.11、無力感とやるせなさ
08:31 金融を中心とした超党派勉強会と中小企業経営者との交流
12:08 安倍首相、二度目の辞任
17:53 三度目の登板はあるか