石井紘基。
2002年(平成14年)10月25日、世田谷区の自宅駐車場で刺殺された。
あれから20年。
手付かずだった石井が残した膨大な調査資料を鳩山さんが入手し、
首藤信彦氏(鳩山元総理と政治団体「共和党」結成)と共に解明していくのだという。
石井紘基が、国の裏帳簿、利権財政の実態を解き明かし、国民に遺してくれたメッセージ、石井の重要な国会質疑を改めてじっくりと読んでみたいと思う。
・暗殺された年の国会
154回 常会2002年(平成14年)1月21日招集〜7月31日
155回 臨時会2002年(平成14年)10月18日招集〜12月13日
《石井紘基 関連記事》
2018年08月25日(土)【16年前の預言】暗殺された石井紘基の凄まじい国会質疑 全文❗️
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12399831701.html
鳩山友紀夫(由紀夫)Yukio Hatoyama
@hatoyamayukio
今年は同志であった正義漢の石井紘基衆議院議員が暗殺されて20年。彼は政官業の闇を暴こうとして何者かに刺殺された。彼が残した資料63箱荷物を立憲から遅まきながら手に入れたので、これから首藤信彦君と共に彼の遺志を継ぎ、闇の解明に当ろうと思う。
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石井紘基『日本病の正体』
(12:40〜)
20年後に現実のものとなった石井の予言。
情報が遮断された国は、ある日突然崩壊する。
このままでは日本も危ない。
自分がやるしかない。
2年後国会議員石井紘基が誕生。(1993年7月)
バブルが弾け、日本の経済成長神話が揺らぎ始めた時期だった。
ソ連を見た石井にしか分からない日本崩壊の予感。
石井の焦りは、行動に移された。
●石井紘基 国会質疑
❶「(政治活動費が)紐付き献金と言われる個人に環流する部分ではないか
というふうに思うわけでございます。」
❷「民間が自由に、少なくとも自由に競争できるように。」
❸「私だってこうやって政治生命かけながらやってんだからね。」
(19:11〜)
国民には見えない税金の行き先。
あるとき石井は、それが特殊法人であることに気づく。
会計検査院が調べねばならない団体はいくつあるのか。
この質問がのちの特殊法人改革の出発点となる。
❹「会計検査院が調べなきゃならぬ団体というものは
全体で幾つあるか、お答えをお願いします。」
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❶第154回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号 平成14年3月13日
○渡海委員長 次に、石井紘基君。
○石井(紘)委員 鈴木宗男さんと防衛庁の関係もまたいろいろと取りざたをされております。既に問題になっておりますのは、北海道の別海町におけるところの米軍海兵隊の訓練、これについても深くかかわりがあるということでございますが、きょう、私は、沖縄の問題を取り上げたい。
沖縄では、米軍用地として、多数の地主さんが借地料を取って土地を貸しておる。そういう中で、沖縄には、沖縄軍用地等地主会、略して土地連というのがございます。全般的に我が国は土地の値段がどんどん下がってきた。こういう下落の状況のもとで、鈴木宗男氏にこの土地連が依頼をして、この借料の値上げを行うということを、あるいはまた値上げ幅を、その率を上げるということをやってきた。鈴木宗男氏に土地連がお願いをして、鈴木さんの方から防衛施設庁に働きかけて、そしてこの値段を、毎年のようにこの率を決めてきたという経過があるわけでございます。
例えば、平成八年度予算において、防衛施設庁は値上げ率を従来の五%であったものを三%台に落とそうと考えていた、ところが、これは、鈴木氏の要求でもって同じく五%の増とした。あるいはまた、平成十一年度予算の概算要求に当たっては、その前年度は三・二五%の値上げ率であったものを三・五%に上げさせた。この際のいきさつを示す文書が、皆さんにお配りをした防衛庁内部の文書でございます。
この中には、後段の「対応」というところのさらに後段に、「土地連は平成十一年度概算要求増額要請に当たり、前沖縄開発庁長官である鈴木宗男衆議院議員にお願いしたことから、当庁は鈴木議員の御指導を頂き三・五%を確保したところであり、土地連も対前年度比三・五%で内諾をしているところである。」というところが特に問題であろうかと思います。
そこで、時間がございませんから簡単に御答弁をいただきたいんですが、一つは、この文書が実際に存在するものであるということを、これはもう私の方には御確認いただきましたが、この場で公式に確認をしていただきたい。
さらにまた、第二の点は、鈴木氏の動きによってこの値上げ率の決定に影響があったということは明らかでありますが、このことをお認めになるかどうか。
もう一つ、三点目は、防衛庁として、先ほどの北海道の問題もございますし、あるいは人事への介入もしているということもあるわけでございますので、この鈴木氏との関係について、これは不当な影響がなかったかどうかという点について調査を行うべきだ。外務省、国交省に次いで防衛庁はもっともっと、一部では、全面的に鈴木派が支配しておる、こういうことも言われておるわけでございますから、そういう意思があるのかどうか。
この三点を簡潔にお答えいただきたいと思います。
○中谷国務大臣 御指摘の「平成十一年度概算要求について」という題名の資料は防衛庁に存在をいたします。これは確認をいたしました。
この資料は、日付は書いておりますが、部署名が書いていないということでありまして、いつ、だれが、どの目的に使ったのかということにつきまして現在庁内において調査をいたしておりまして、作成をした者は確認をいたしましたけれども、どのような目的に使ったのかという点につきましてさらに調査をいたしたいというふうに思っております。
また今後よく調べまして、役所として不適切な対応があったかどうかということにつきましては調べてみたいというふうに思っておりますが、私も部会等でいろいろ予算のときに意見等聞いておりましたけれども、土地連におきましては鈴木氏を頼りにしているというふうな印象を持っております。
以上です。
○石井(紘)委員 ちょっと答弁の漏れているところがあるかもしれませんが、時間がありませんからいいです。
なお、鈴木氏に対する土地連からの献金というものは毎年行われておるということも申し上げておきます。
次に、尾身大臣においでいただきました。尾身大臣は、鈴木宗男さんが自民党の総務局長をやっておられたその前任者として総務局長をやっておられました。
自民党の財務の中には、政策活動費という費目がたしかございます。これを尾身大臣もお受け取りになっていたわけですが、三点伺います。この使途は何なのか。二つ目は、このお金というものは、受け取って、それを何かに使って、その支払い先の領収書というものを提出するようになっているのかどうなのか、これが二点目。三点目は、これは個人に渡されるお金でございますから、当然、個人の雑所得になるわけでございますが、これの税務申告というものはされたのかどうなのかという点をお伺いします。
○尾身国務大臣 ただいまの質問につきましては、今初めて伺った質問でございまして、事前通告がございませんでした。
我が党の活動についてのお話でございますから、まさに自民党の政治活動の話でございまして、内閣の一員としてこの点について私が説明することは適当でないと考えておりますので、御容赦いただきたいと思います。
○石井(紘)委員 私は先日、鈴木宗男さんの、主として北方領土上におけるところのさまざまな施設建設等々の事業を受注した企業各社から、その他の各社から国民政治協会への献金が相当額あるということを申し上げたわけでありますが、実はその後、自民党の財務に大変詳しい方から御忠告をいただきました、説明をいただきました。それによりますと、国民政治協会から自民党本部へそのお金が行って、そしてそれが個人の政治家に還流するという仕組みがありますよと。だから、自民党本部の財務というのは重要ですよということを言われたわけであります。
そして、調べてみたわけでございますが、ここに明らかにする事実は、一定のポストについた特定の政治家の影響力や口ききによって、国民政治協会になされたところの企業等の献金が自民党本部を経由して、そして政治家個人に行っているということでございます。
概略を申し上げますと、国民政治協会は例えば平成十年には七十四億の収入がございましたが、自民党本部へ同じく七十四億を提供しております。それから、十一年には五十五億のうち四十八億を、十二年には五十八億のうち五十三億円を自民党本部に流しております。
この自民党本部の中には、当然のことながら、政治活動費のさまざまな費目というものがございまして、これは選挙活動費、組織活動費、あるいは経常経費その他、ずっと全部あるわけであります。政党助成金はそれぞれでまた配分をされておりますし、また支部への交付金はそれぞれまた配分をされております。しかしながら、特定の個人に対する多額の支出があるんですね。
これは、例えば総務局長を務めた鈴木宗男さんには、例えば旅費、交通費とか研修会費とか調査費、これはそれぞれあって、そのほかに政治活動費という渡切費があるわけでございます。これが一億一千九百万円、平成十二年度でですね。ほかの費用は六百三十万円とか細かく書いておりますが、これは全部百万円単位でございます。どうもこれが、実は、支払い先の領収書も要らない。そして、これがいわゆるひもつき献金と言われる個人に還流される部分ではないかというふうに私は思うわけでございます。
ちなみに、鈴木総務局長は一億一千九百万円でしたが、その年の政調会長亀井さんは七千百万でございます。あるいは、総務局長同士の比較をいたしますと、前任者である尾身大臣は十年に二千九百五十万円、十一年に三千五百万円であります。この鈴木さんと比べてみると、けた違いでございます。少ないということですね。そのまた前任者の古賀誠さんは、五千三百五十万円でございます。ということは、鈴木宗男さんはその倍以上ということになります。
そして、この政策活動費というのが、どうも、そういう意味合いのものであろうと思われるのは、ほかにも多数の議員さんで、例えば、三億一千万円とか三億円台というのも相当あるということであります。そういう……
○渡海委員長 石井君に申し上げます。
申し合わせの時間がかなり経過しておりますので、御協力をお願いいたします。
○石井(紘)委員 あとは、資料でもってお出しをいたしますけれども、最後に私は国税庁に、きょうは来ていただいておりますが、質問はいたしません。このことを、これは、脱税あるいはまた贈収賄ということに深く、場合によったらこういう疑惑に発展する問題かもしれませんので、篤と聞いていただいたという意味で、国税庁にきょう私は、告発の意味でこういうことも申し上げておきたいと思います。
また、委員長に最後にお願いをしたいのは、こういう重大な疑惑、問題でございますので、これは決算委員会においてもひとつ取り上げて調査をお願いしたいということでございます。
○尾身国務大臣 この問題は自民党の政治活動の内容についてでございまして、私自身は自民党の一員として働いておりますけれども、ここでは内閣の一員でございますから、内容については申し上げませんが、自民党の政治献金については、政治資金規正法に基づいて適正に処理されていると確信をしております。
○渡海委員長 先ほどの石井君の申し出につきましては、後刻、理事会で協議をさせていただきます。
○石井(紘)委員 ありがとうございました。
なお、この中には、八百万円の、どうも……
○渡海委員長 御協力をお願いします、石井君。
○石井(紘)委員 タンザニアに送られたものとか、あるいは※ムルアカ氏に支払われたものもある。そういう意味で、ぜひお調べをいただきたいと思います。
ありがとうございました。
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《自民党事務総長 元宿仁 関連記事》
【Dappi問題の重大性】疑惑❗️自民党は、ネット世論工作に政党助成金(税金)を使っていたのか❓
2021年10月15日(金)
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12704094670.html
●闇の政治資金(2) 迂回(上)“洗浄”システム知る男
2004年9月21日(火)「しんぶん赤旗」
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-09-21/01_03.html自民党が財界に献金を要請するとき、実際の仕切り役はこの人物――。そういわれるのが自民党本部の事務局長、元宿(もとじゅく)仁氏です。
元宿氏は、財界から自民党への献金システムをつくった元経団連副会長兼事務総長(退任後経団連相談役)の花村仁八郎氏(故人)に見込まれ、三十数年、自民党経理畑で活動してきました。二〇〇〇年九月に経理部長兼任で党本部事務局長に。党本部献金システムの全ぼうを知り、党総裁の選挙応援にも大きなかばんを抱えてつきそう、と自民党関係者が語ります。
特捜部の聴取
この元宿氏が、今回、日本歯科医師連盟(日歯連)の不正献金事件を捜査する東京地検特捜部の事情聴取を受けていました。
その大きなテーマが迂回(うかい)献金でした。
日歯連から自民党の政治資金団体、国民政治協会(国政協)↓自民党本部↓政治家と迂回して流れていたことが発覚したのです。
日歯連会計担当の前常務理事、内田裕丈被告は「国政協への献金の封筒に政治家のあて名を書いた」と供述しました。つまり、国政協への献金のある部分は、最初から特定議員あてだったのに、その痕跡を隠すために迂回させたことを認めたのです。
元宿氏は日歯連の要望に応じて献金を迂回させました。なかにはわいろ性が問題になった献金もありました。旧橋本派への一億円の闇献金でも元宿氏は、迂回献金とするための相談にのった、と指摘されました。
この手法こそ、自民党が長年、疑惑の資金を“洗浄”するために使ってきたものでした。迂回献金は自民党内では「指定寄付」「指定献金」などと呼ばれます。過去の新聞報道をたどってみると、少なくとも一九八〇年には党本部でおこなわれていた、とする記事があります。二十数年以上の“歴史”があり、党本部や国会に長くいる自民党関係者には周知の手法です。複数の自民党関係者がこう証言します。
――指定献金は私も経験した。議員から党本部に「A企業からこれだけの金額が振り込まれるが、これはおれの口座に入れてくれ」と連絡する。また、企業も「これだけ振り込むので、これだけの金額はB代議士にまわしてほしい」と相手先を指定する。その結果、国民政治協会から自民党本部に回り、党本部から組織活動費や交付金などの名目で議員に渡る。このシステムに一番くわしいのは元宿氏だ(元自民党本部職員)。
――なぜ指定献金を使うかといえば、政治資金規正法違反やわいろとして摘発されないためだ。献金額の制約を超える場合、献金企業とのつながりを隠したい場合がある。職務権限とのかかわりもある。しかし、指定献金にすれば、いったん党にはいり、出所もわからない。いっさいは闇のなかだ。これは自民党の“英智”だ(元自民党議員秘書)。
党役員が了承
――指定献金は党役員が了承しているからできる。自民党の役員に事後であっても話を通す。要求されなくても黙認料というか、一定額を党側に渡すのは常識だ(元自民党議員秘書)。
その迂回献金に捜査当局がメスを入れようとした事件がありました。一九九三年に表面化したゼネコン汚職。当時自民党前衆院議員で、現在は民主党参院議員の渡辺秀央元郵政相への献金でした。(つづく)
“洗浄”システム知る男
●自民党本部の使途不明金
党本部の「組織活動費」「政策活動費」名目の支出、高額な使途不明金
公益財団法人政治資金センター 2017.03.17
https://www.openpolitics.or.jp/investigation/2017031701.html
” 政党交付金(税金)を受け取っている政党、特に自民党本部は、幹事長などの一部の国会議員個人に対し「組織活動費」・「政策活動費」名目で寄附しており、それが、最終的にいつ、何の目的で、誰に対し、支出されたのか、どこにも報告されていないという重大な問題があります。”
●※ジョン・ムウェテ・ムルアカ プロフィール
ザイール(現・コンゴ民主共和国)出身、日本で活躍するタレント、電気工学研究者、国際政治評論家。科学技術庁放射線医学総合研究所研究員等を経て、千葉科学大学危機管理学部特担教授、総務省参与。加計学園、岡山理科大、倉敷美術大 参与。
鈴木宗男の元私設秘書であった。日本にて博士(工学)(東京電機大学)の学位を取得。2005年に日本国籍を取得し、帰化しており、現在の本名はムウェテ武流阿加。
●ムルアカ ニッポンをきく シリーズ
https://web.archive.org/web/20130819010458/http://www.muluaka1.com/writ1.html
ムルアカ ニッポンをきく02 - 前首相婦人 安倍昭恵さん
今回のゲストは前首相夫人の安倍昭恵さん。
ムルアカさんとは同年代ということもあり、気が合う2人。
前首相辞任の内幕、若くしてファーストレディーになった心境、今後の活動などを新聞紙上で初めて語った。
ムルアカ 40歳代はおそらく初めてだと思いますけど、ファーストレディーになられた感想はいかがでしたか。
安倍昭恵 (夫の安倍晋三前首相が辞任して)もう半年たちましたが、今思うと「自分はそんな立場だったのか」というのが正直な感想です。でもいい経験になりました。若くて至らない点があったと思うし、周囲からみてもそうだったと思いますけど。いろいろな方に支援していただきました。私なりに若々しい外交ができればと思っていましたが、若いという意味では率直に他の首脳夫人に「何でも教えてください」といえました。
ムルアカ 国民の多くは総理が記者の質問に答える範囲でしか、官邸の(仕事の)大変さを知らないと思う。昭恵さんも安倍前首相が病気で入院されて大変でしたね。
安倍 官邸は私にとって別世界。いるだけでプレッシャーでした。オフィスの方の大変さは実際は見ておらず、外遊についていった範囲ぐらいでしか分からないですけど。主人が公邸に帰って、少しの時間いっしょにいる中で、「相当ストレスがあって大変なんだろうなあ」と、ずっと感じていました。特に最後の方は夜ちゃんと寝られないとか、食事をきちんととれないとか、次々と体調の問題が起こって。一方で、すぐに決断していかないといけない責任がありました。「一国のトップの責任は全然違うんだなあ」と主人の言動から感じました。私にもやることがあったとはいえ、健康面のケアをもっとできたのかなという後悔はあります。主人は大変だったと思います。
ムルアカ 辞任はいつごろ知ったんですか。
安倍 主人にいわれたのは数日前。日程をキャンセルしたりしていて、約束は破らない人だったので、体調が相当悪いのだなと分かっていました。辞任直前(2007年9月)にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議へ出席した際の会見で、(テロ対策特措法の延長法案ついて)主人は「職を賭していく」と発言しました。「辞任を覚悟しているのかな」という感じでした。具体的に辞めるとはいってたかはよくおぼえていませんが、いってなかったと思います。私からは参議院選挙に敗北した際に「辞めないの」とは聞きました。でもそのときは元気だったので続投を決めました。私としては体を心配する一方で、何とかして切り抜けられないかという感じだったんですけど…辞任は分かる人に分かっていただければ。 □勇気ある決断
ムルアカ 時がたち、冷静になれば判断が正しかったと(世間も)思えるようになると思う。前首相は「迷惑をかけられない」と辞任され、政治の空白を作らなかった。国益のために立派で正しい判断をしたと思う。ただ、問題はタイミングです。
安倍 主人は持病を抱えていました。首相になっていいかどうかは別として、これまで大丈夫だったので、首相になっても大丈夫との判断でした。だけどストレス管理がうまくいきませんでした。責任を果たせないのに、首相の椅子(いす)にしがみついていてもしようがないというのが主人の考え。もちろん無責任だという批判は想像されましたが、国のことを考えた勇気ある決断だったと思います。
ムルアカ ところで、ファーストレディーは晩餐(ばんさん)会でもご飯を食べるだけではなくて、服装や言葉遣いに注意したり、マナーの勉強もしないといけない。高齢ではできない部分もあります。過去の首相夫人はあまり表に出ませんでした。
安倍 でも過去の首相夫人はそれ以前に、ご主人とともに経験を積まれておられます。私は勉強不足な面ばかりだから…。
ムルアカ 私は逆だと思う。人間は年をとるとどうしても脳の働きは衰えます。
安倍 それは年ではなくて、人によると思いますよ。 ムルアカ 外国の大統領夫人には、夫のサポートをするだけでなく、国民の代表として世界で活動する人が多い。これからどうしたいですか。
安倍 今は(ファーストレディー時代に)会えなかった人と会食したり。(趣味として)長刀(なぎなた)も始めました。具体的な活動はまだ考えていません。ただ1年間主人とともに(首相夫人として)活動する中で、いろいろな方に巡り合い、いろいろな国で障害者施設や学校を見て回りました。これからも何かしら役に立つ活動をしたいとは思っています。今もいろいろな施設を訪問したり、さまざまな分野の専門家にお話をうかがったり、細々と活動しています。
ムルアカ アフリカ支援についてはいかがですか。
安倍 アフリカや東南アジアには素晴らしい才能を持っているのに貧しくて教育が受けられない子供たちが多いので、教育を受ける機会が増えることが大切だと思います。今も多くの人が支援していますが、「なぜうまくいかないんだろう」との思いはあります。また私は日本人として誇りを持っているので、日本に生まれてよかったと思える子供が多く育ってほしいと思います。そういう子供がアフリカを訪れ、自分がいかに恵まれているかとか、人とのきずなの大切さを知って、相互理解が進めばいいですね。
ムルアカ 世界中に戦争や内戦で親を失い、貧しい生活を強いられている子供たちがいっぱいる。彼らに何らかの形で手を差し伸べられないものでしょうか。日本人は大変といっても飢え死にはしていない。(地道な)農業プロジェクトを通じて救うのも方法の一つでは。昭恵さんはこれから50年は生きられるでしょう。
安倍(大笑い) □支援は前向きで
ムルアカ 昭恵さんの世代は責任を持って活動しないと。
安倍 私はたまたま(親しい)作家の曽野綾子さんとアフリカに行きましたが、行かなければ遠い国でした。興味を持ててよかったと思います。そんな縁ができたからにはお役に立ちたいですね。日本でアフリカの国々のことをもっと知ってもらうのも一つだと思います。援助を差し伸べる人や団体は多いのに、なかなか援助の成果が出ていないように見えることは残念だと思います。
ムルアカ 私は援助のポイントがずれていると思う。
安倍 日本政府は先方が欲しい物のリストに沿って提供しています。精査しているとは思いますが、アフリカ側も本当に欲しい必要とする物を要求しないと。
ムルアカ そう、そこがずれている。例えば留学制度を使って海外へ渡る人は、それなりに裕福な人が多い。でも本当に貧しい人にチャンスを与えれば、明治時代の日本と同じように才能が広がる。日本という国も理解される。
安倍 主人はアジアに学校を作る50人の議員連盟に参加しています。50人いれば年1校作れます。私も何かやりたくてミャンマーに学校を作りました。まだ1つだけですが。訪れたことがありますが、どこへ行っても子供はかわいいですね。
ムルアカ 最後になりますけど、ファーストレディー時代に印象深かった人は誰ですか。
安倍 (ブッシュ米大統領夫人の)ローラさんでしょうか。ASEAN(東南アジア諸国連合)の会合でベトナムへ行ったとき、まだ右も左も分からない私にアドバイスしてくださいました。その後も何回かお会いして親近感がわきました。とても温かい方です。米国のファーストレディーにはスタッフが25人もいるということですが、大変だなあと思いました。あとルワンダの作家のイリバギサさんには感銘を受けました。彼女は1994年の大量虐殺で100日間トイレにかくまわれ、親兄弟はみな殺された。それにもかかわらず最後は犯人のために祈り、すべてを許したそうです。それを聞いて「なぜ許せるんだろう」と驚きました。すごく穏やかな人でしたね。
ムルアカ 私もルワンダの虐殺の真実を知る一人です。友人を何人も失っています。この出来事の根は大変深く、昭恵さんがルワンダの作家のひと言を聞いてそれをそのまま信用してしまうのはいかがかと思います。生き残った人間として命の重みを感じますし、多くの人が死んだ事実をもっと知る必要があると思う。この話は本が一冊書けるほど大変長いものです。今日は貴重な時間をありがとうございました。
(構成・井田通人)
【会想録】 □優しく強い人
安倍家とは、晋三先生のお父上、晋太郎先生の時代からのお付き合いです。22年前に外相だった晋太郎先生と、外国から来た政府要人との会談に私が参加したのがきっかけです。晋太郎先生の奥様にもお目にかかりましたが、大変美しく日本的な物静かな女性という印象でした。 残念ながら晋太郎先生は亡くなられ、晋三先生が国会議員になられました。当初は特別親しいわけではありませんでしたが、その後、昭恵さんとアフリカ関連の会合でお会いしました。出会いとは不思議なもので、互いの共通の友人が多かったことで信頼関係が深まりました。 同年代でもあり、家族ぐるみの交流をさせていただいています。昭恵さんはひと言で言うと思いやりがあり、優しく強い人。アフリカと日本のため、ダイアナ元英皇太子妃のように活躍していただきたいと願っています。
◇ 【プロフィル】安倍昭恵 あべ・あきえ
聖心女子専門学校卒業後、電通に入社。1987年に父・晋太郎氏の秘書を務めていた安倍晋三氏と結婚。6年後に晋三氏が衆議院議員となり、代議士の妻となる。晋三氏の首相就任にともない2006年9月から07年9月までファーストレディーとして活動した。「アッキー」の愛称で知られる。父は森永製菓の創業者一族で社長を務めた松崎昭雄氏。45歳。東京都出身。
ムルアカ ニッポンをきく23 - 学校法人加計学園理事長 加計孝太郎さん
■世のために危機管理学
「ムルアカ にっぽんをきく」の今回のゲストは岡山理科大など全国に35校もの学校を経営している学校法人加計学園の加計孝太郎理事長。
ムルアカ氏は対談のなかで、危機管理学部や生命科学部など時代を先取りする学部を作るなど、学校は教育の場であるとともに、まさに企業であると再認識させられた。
ムルアカ氏 理事長は中国地方を中心に、幼稚園から大学までいくつもの学校を運営されており、先進的な取り組みでも知られています。今日はそうした取り組みについて話をうかがえればと思います。学園の簡単な歴史について教えてください
加計孝太郎・加計学園理事長 広島の広島英数学館という予備校から始まったんです。戦争で出征した父(加計勉氏)が終戦で郷里に帰ると、原爆の被害を受けた広島は焦土と化していました。その後、広島文理科大学(現広島大学)を卒業すると、1955年に予備校を作りました。それを土台に62年、岡山県に岡山電機工業高校(現岡山理科大学附属高校)を開校。さらに大学の認可を得て、岡山理科大学ができました。それからは地域から申し出があって学校を作るケースが多かったですね。今は35校を運営しています。
ムルアカ 長い歴史があり、地域からの要望も多いということですね。最近では2004年に千葉科学大学を銚子市に開校されています。その中に危機管理学部という異色の学部があります
加計 米国のフィンドリー大学の理事をしているんです。見学するとここは、馬術学部などをもつユニークな大学で、その中に危機管理学部もありました。米同時中枢爆破テロ事件の6年前に作っていたんですね。テロ事件ではいち早く学生がボランティアとして現場に向かい、水や食糧をいち早く供給しました。日ごろから訓練していたんです。米政府もこれを高く評価しました。ちょうどそのころ、以前に岡山県副知事をしていた銚子市長から、高等教育機関を設置してほしいとの誘致に話があり、危機管理学部と薬学部を持つ千葉科学大学をつくりました。初年度は1次合格者の7割ぐらいの合格率で消防庁をはじめ、警察庁、防衛省などの公務員試験に合格しました。
ムルアカ 危機管理分野はまだ研究が浅く、日本だけでなく、世界全体にとってこれからすごく大事ですね
加計 千葉科学大学には薬学部も併設しています。薬学は鳥インフルエンザや新型肺炎(SARS)に関連していると同時に、危機管理も関係が深い。それらを日本の中に入らないようにすると同時に、日本の危機管理や薬学を学んだ人が世界で活躍するようになれば、世の中のためになるのでは。
ムルアカ 前にテレビで「アクアバイオ」という、すごく面白い話題を取り上げていました。グループで研究しているそうですね
加計 もともと岡山理科大学専門学校に「アクアリウム学科」をつくったことから研究が始まったんです。川が海に注ぐ場所、つまり河口には淡水魚と海水魚が共生してますが、同じ環境を(養殖のために)他の場所で再現できないかと思ったんですね。それで、海水魚と淡水魚が共生できる“好適環境水”を開発しまして、岡山駅に設置している水槽を見るとびっくりしますよ。タイと金魚がいっしょに泳いでいるんですから。試食会で養殖したタイやふぐを食べましたが(天然モノと)遜色(そんしょく)ないんです。しかも1・35倍の速さで成長するんです。将来的にはマグロまでいきたいということです。ダムなどで海魚を養殖できれば食糧問題の解決にも役立ちますから、すごく期待しています。
ムルアカ 最近は食糧問題が深刻化する一方、食文化が多様化・グローバル化し、生魚を食べない国の人も食べるようになっています。すごく重要な研究ですね。ところで倉敷芸術大学といえば生命科学部という学部があり、受験倍率が高いとか
加計 生命科学部では臨床検査技師、臨床工学技士、細胞検査士などの、救急救命士といった医療系の資格をはじめとするさまざまな資格を取得することができます。動物関係の研究にも取り組みたいと思って開設したんですが、これからは人と動物が共生しないといけませんし、重要性が高まると思います。将来的に獣医学部の設置を視野に入れた形で進めています。動物も人間も基本的なシステムは変わらないと思うんですよ。鳥インフルエンザ、BSEのように動物が原因で人が病気になるケースもありますからね。
ムルアカ 医療関係者の充実にも役立つ
加計 今の日本は人口が減少し、労働力も減りつつあるのに、医療分野では労働力確保が大変なんです。看護師や介護福祉士の育成が急務なのに、給料がすごく安い。特別養護老人ホームは順番待ちになっているにもかかわらず、世話する側の人材を育てようとする学校に入り手がいない。医療に限らず、さまざまな分野で学生が減っているし、海外から学生に来てもらい、日本で教育を受けてもらって、日本にとどまってもらえるといいと思うんですが。国のためにもなると思います。
ムルアカ そうですね。教育は日本だけでなく、グローバルで考えないといけない
加計 このあいだインドネシアから介護福祉士や看護師をめざして約200人の方々が日本に来ましたが、彼らは5年のうちに資格をとらないと帰国しないと、日本にとどまれない。欧米ではアジアの国々の資格をそのまま認めましょうというところまで来ているのに、日本では日本の資格を取得しないと認めないなど、対応が遅れています。
ムルアカ 最後に35のも学校を運営するのは大変でしょうが、今後の抱負を教えてください
加計 どんな学生にもいろいろな能力があり、それを最大限に引き延ばすことが使命だと思っています。これは建学の理念でもあります。その上で時代のニーズに合わせた運営をしていきたいですね。物理や数学といった基本的な学問分野をなくすことは考えられませんが、例えばその分野の定員80人を50人に減じ、その減じた30人を使って、新しい学部・学科の設置にチャレンジしていきたいですね。父いわく、いくら立派な先生がいても、研究の場がないとどうしようもない、と。それを提供するのが自分の役目だと言うんです。私も同感です。学生が個々の能力を伸ばせるような研究の場、施設を提供していきたいですね。(構成・井田通人)
【プロフィル】加計孝太郎
かけ・こうたろう 立教大学文学部卒。1971年から学校法人加計学園の要職を歴任。現在、加計学園理事長・総長、広島加計学園長、米国フィンドリー大理事、日本私立大学協会理事、岡山県国際交流協会理事、岡山県郷土文化財団理事などを務める。57歳。広島県出身。
【会想録】たいへん心の大きい人
加計さんは教育について全身全霊をかけて取り組んでおられます。加計さんと出会ったのは私がどん底の時、誰もが私に最も会いたくない時期でしたが、それでも私のことを快く理解してくれました。大変大きい心の持ち主です。これからグローバルの日本と世界の教育のためにともに将来を築いていきたいと願っております。
ムルアカ ニッポンをきく最終回 - 衆議院議員 安部晋三さん
■肩書生かし国際活動
「ムルアカ ニッポンをきく」の最終回のゲストは元首相の安倍晋三衆院議員。
「辞任の真相」「健康問題」「入閣」などシビアな話題だったが、ムルアカ氏とは家族ぐるみのつき合いをしているだけに、終始なごやかムード。健康を回復した安倍氏には拉致問題に取り組んでいたころのような精気がみなぎっている。
◆腸炎に耐えられず
ムルアカ氏 私は鈴木宗男先生と出会い、政治にかかわるようになりました。その当時、外務大臣だったのがお父様の晋太郎先生です。晋太郎先生にもよく声をかけていただきました。今日はご自身の今後や、混迷の度を深める最近の政治などについてお話をうかがえればと思います。地元の山口では大変人気があるようですが、まずは支持者たちとともにどのようにこれからがんばっていきますか
安倍晋三衆議院議員 今まで(1993年以来、衆院選に)5回当選して、15年選手になりました。それぞれの選挙を高い得票率で当選でき、(有権者のみなさんには)感謝しています。でも今度の選挙は私自身への(首相辞任に対する)さまざまな批判があるなか、厳しい戦いになると思います。健康を回復し、(辞任後は)一議員として原点に戻り活動してきました。なるべくたくさんの方の声を聞こうとして、(地元では)6月から120回近くミニ集会を開いてきました。「もう少し何とかならないか」とか、率直なご意見やご質問をいただきました。今まで東京での活動が忙しくて、直接地元の方々にお話をうかがう機会が少なかったので、良かったと思います。
ムルアカ 昨年9月に病気のため首相を辞められたわけですが、まだまだ安倍さんの真意が伝わっていない点が多く、真相を知りたいと思っている読者も多いと思います。もう一度ご本人から経緯を説明していただきたいのですが
安倍 今までにもずいぶん説明してきましたが、残念ながらテレビやマスコミになかなか体調について説明してもらえないことが多いですね。昨年(8月のインドネシア、インド、マレーシア訪問に伴う)外遊の際、ウイルス性の腸炎をわずらい、それが回復しなかったんです。もともと潰瘍(かいよう)性大腸炎という難病の持病があって、幹事長や官房長官を務めた際に再発しなかったので、首相になっても大丈夫と思っていたのですが。「ここは何とか乗り切りたい」と考え、(9月10日の)所信表明演説まではたどり着くことができましたが、とても長期にわたる国会での質問に応じられる体調ではないと判断しました。民間企業であれば代理を置けばいいことですが、病気で代理を置くことができないと法律で決まっていますので、辞めざるを得ないと。もっと早く判断すべきでしたが、何とか乗り切ろうと頑張った結果、かえって国民に迷惑をかけてしまいました。
◆権力者は常に孤独
ムルアカ かつて私がつらい思いをしたのは内閣総理大臣をされた大物の小渕恵三さんが病気で倒れてしまい、そのまま帰らぬ人となられたことです。あの時、こうすればよかったのに、ああすればよかったのに、と思うばかりです
安倍 命が惜しいのではなく、健康ではないと正しい判断ができないと思ったんです。首相は自衛隊の最高司令官でもある。国民の生命を預かっている以上、総理の職責を全うできないなら辞めるべきだと判断したんです。(他の多くの政治家と同じく)総理になるために政治家の道を選択したわけで、そう簡単に辞める判断はできないですし、ほうり出すはずがない。私も何とかならないかという中で判断したんです
ムルアカ 福田康夫さんも先日突然辞任されました。多くの人が官邸および公邸にはモンスターが住んでいるんじゃないかと。
安倍 官邸に入ることと首相のイスに座ることは、特別な責任を伴います。国民の生命・財産を守る立場ですし、新たな国の歴史を作っていかないといけない。間違った判断をすれば、とんでもないことが起こります。公邸では毎日(自分の政治が)正しいのか自問自答していました。
ムルアカ 亡霊が出るといううわさも。
安倍 (笑って)うわさは知っていますが、感じたことはありませんよ。でも外界と隔絶されている世界。自宅のように散歩するわけにはいきません。でもそれに耐えないといけない。権力者は常に孤独ですから。
ムルアカ 総理経験者として、これからの日本はこの難局を乗り切るにはどうすればよいと思いますか
安倍 今の日本が置かれている難局は、当面はサブプライムローン問題に端を発した金融不安と、原油高への対処。日本は石油やエネルギー資源を海外から輸入していますので、原油高の影響を直接受けますから。同時に構造改革の中で地方が大変苦しんでいる状態なので、経済が上向きになるよう成長のためあらゆる政策をとるべきだと思います。麻生(太郎)さんは今の状況を「全治3年」と表現して、第1弾として総合経済対策を実施すると思います。
◆次の選挙で信任を
ムルアカ この対談の第1回目には奥さまの昭恵さんにもご登場いただきました。いつも二人三脚で活動されていますが、元総理夫人の立場として国際的に活動していってはいかがでしょうか。
安倍 男性の政治家の場合、奥さんの助けがなければ活動はできません。私も妻と二人三脚で政治家人生を歩んできました。特に地元の後援会などは妻に任せていましたし、外遊にもついてきてもらいました。妻の方にスポットライトが当たっていることもありましたし。
ムルアカ ご自身の今後は
安倍 今度の麻生政権がしっかりと政策を遂行できるよう、元総理として応援団を務めないといけないと思っています。国際化の時代なので、さまざまな形で国際活動にかかわっていきたいと思っています。すでに4月に行われたドイツの産業見本市「ハノーバーメッセ」に出席しましたし、森(喜朗)さんも5月のTICAD(アフリカ開発会議)成功に尽力しました。妻はアジアに学校をつくる活動に力を入れていますが、そういうことも含め力を入れたいと思います。
ムルアカ 麻生内閣の誕生にあたっては、安倍さんが入閣するといううわさが取りざたされました
安倍 (入閣は)全く考えていませんでした。首相を辞任して1年。国民に迷惑をかけたので、まずは次の選挙で信任を得ないといけない。そこに集中したいと思っています。幸い元総理の肩書があるので、外国に行けばその国の政治指導者と会えます。その立場を生かし、日本の存在を発信していきたいですね。
=おわり
【会想録】 ■真面目で一生懸命
安倍さんはお父さん(晋太郎さん)の外務大臣の時代から存じております。二十数年前の話ですが。 安倍さんご家族とはいいお付き合いをさせていただいている仲です。昭恵夫人も親しい友人の一人です。安倍さんは真面目で、一生懸命な方で、今まで培った総理の経験を生かしていただきたいと願うばかりです。奥さんと二人三脚で頑張って欲しいと思います。
【プロフィル】安倍晋三
あべ・しんぞう 成蹊大学法学部卒業後、神戸製鋼所勤務などを経て、1993年衆院選に初当選(現在連続5期)。自民党幹事長、内閣官房長官などを務めた後、06年9月第90代内閣総理大臣(07年9月まで)。54歳。山口県出身。
2002年(平成14年)10月25日、世田谷区の自宅駐車場で刺殺された。
あれから20年。
手付かずだった石井が残した膨大な調査資料を鳩山さんが入手し、
首藤信彦氏(鳩山元総理と政治団体「共和党」結成)と共に解明していくのだという。
石井紘基が、国の裏帳簿、利権財政の実態を解き明かし、国民に遺してくれたメッセージ、石井の重要な国会質疑を改めてじっくりと読んでみたいと思う。
・暗殺された年の国会
154回 常会2002年(平成14年)1月21日招集〜7月31日
155回 臨時会2002年(平成14年)10月18日招集〜12月13日
《石井紘基 関連記事》
2018年08月25日(土)【16年前の預言】暗殺された石井紘基の凄まじい国会質疑 全文❗️
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12399831701.html
鳩山友紀夫(由紀夫)Yukio Hatoyama
@hatoyamayukio
今年は同志であった正義漢の石井紘基衆議院議員が暗殺されて20年。彼は政官業の闇を暴こうとして何者かに刺殺された。彼が残した資料63箱荷物を立憲から遅まきながら手に入れたので、これから首藤信彦君と共に彼の遺志を継ぎ、闇の解明に当ろうと思う。

石井紘基『日本病の正体』
(12:40〜)
20年後に現実のものとなった石井の予言。
情報が遮断された国は、ある日突然崩壊する。
このままでは日本も危ない。
自分がやるしかない。
2年後国会議員石井紘基が誕生。(1993年7月)
バブルが弾け、日本の経済成長神話が揺らぎ始めた時期だった。
ソ連を見た石井にしか分からない日本崩壊の予感。
石井の焦りは、行動に移された。
●石井紘基 国会質疑
❶「(政治活動費が)紐付き献金と言われる個人に環流する部分ではないか
というふうに思うわけでございます。」
❷「民間が自由に、少なくとも自由に競争できるように。」
❸「私だってこうやって政治生命かけながらやってんだからね。」
(19:11〜)
国民には見えない税金の行き先。
あるとき石井は、それが特殊法人であることに気づく。
会計検査院が調べねばならない団体はいくつあるのか。
この質問がのちの特殊法人改革の出発点となる。
❹「会計検査院が調べなきゃならぬ団体というものは
全体で幾つあるか、お答えをお願いします。」
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❶第154回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号 平成14年3月13日
○渡海委員長 次に、石井紘基君。
○石井(紘)委員 鈴木宗男さんと防衛庁の関係もまたいろいろと取りざたをされております。既に問題になっておりますのは、北海道の別海町におけるところの米軍海兵隊の訓練、これについても深くかかわりがあるということでございますが、きょう、私は、沖縄の問題を取り上げたい。
沖縄では、米軍用地として、多数の地主さんが借地料を取って土地を貸しておる。そういう中で、沖縄には、沖縄軍用地等地主会、略して土地連というのがございます。全般的に我が国は土地の値段がどんどん下がってきた。こういう下落の状況のもとで、鈴木宗男氏にこの土地連が依頼をして、この借料の値上げを行うということを、あるいはまた値上げ幅を、その率を上げるということをやってきた。鈴木宗男氏に土地連がお願いをして、鈴木さんの方から防衛施設庁に働きかけて、そしてこの値段を、毎年のようにこの率を決めてきたという経過があるわけでございます。
例えば、平成八年度予算において、防衛施設庁は値上げ率を従来の五%であったものを三%台に落とそうと考えていた、ところが、これは、鈴木氏の要求でもって同じく五%の増とした。あるいはまた、平成十一年度予算の概算要求に当たっては、その前年度は三・二五%の値上げ率であったものを三・五%に上げさせた。この際のいきさつを示す文書が、皆さんにお配りをした防衛庁内部の文書でございます。
この中には、後段の「対応」というところのさらに後段に、「土地連は平成十一年度概算要求増額要請に当たり、前沖縄開発庁長官である鈴木宗男衆議院議員にお願いしたことから、当庁は鈴木議員の御指導を頂き三・五%を確保したところであり、土地連も対前年度比三・五%で内諾をしているところである。」というところが特に問題であろうかと思います。
そこで、時間がございませんから簡単に御答弁をいただきたいんですが、一つは、この文書が実際に存在するものであるということを、これはもう私の方には御確認いただきましたが、この場で公式に確認をしていただきたい。
さらにまた、第二の点は、鈴木氏の動きによってこの値上げ率の決定に影響があったということは明らかでありますが、このことをお認めになるかどうか。
もう一つ、三点目は、防衛庁として、先ほどの北海道の問題もございますし、あるいは人事への介入もしているということもあるわけでございますので、この鈴木氏との関係について、これは不当な影響がなかったかどうかという点について調査を行うべきだ。外務省、国交省に次いで防衛庁はもっともっと、一部では、全面的に鈴木派が支配しておる、こういうことも言われておるわけでございますから、そういう意思があるのかどうか。
この三点を簡潔にお答えいただきたいと思います。
○中谷国務大臣 御指摘の「平成十一年度概算要求について」という題名の資料は防衛庁に存在をいたします。これは確認をいたしました。
この資料は、日付は書いておりますが、部署名が書いていないということでありまして、いつ、だれが、どの目的に使ったのかということにつきまして現在庁内において調査をいたしておりまして、作成をした者は確認をいたしましたけれども、どのような目的に使ったのかという点につきましてさらに調査をいたしたいというふうに思っております。
また今後よく調べまして、役所として不適切な対応があったかどうかということにつきましては調べてみたいというふうに思っておりますが、私も部会等でいろいろ予算のときに意見等聞いておりましたけれども、土地連におきましては鈴木氏を頼りにしているというふうな印象を持っております。
以上です。
○石井(紘)委員 ちょっと答弁の漏れているところがあるかもしれませんが、時間がありませんからいいです。
なお、鈴木氏に対する土地連からの献金というものは毎年行われておるということも申し上げておきます。
次に、尾身大臣においでいただきました。尾身大臣は、鈴木宗男さんが自民党の総務局長をやっておられたその前任者として総務局長をやっておられました。
自民党の財務の中には、政策活動費という費目がたしかございます。これを尾身大臣もお受け取りになっていたわけですが、三点伺います。この使途は何なのか。二つ目は、このお金というものは、受け取って、それを何かに使って、その支払い先の領収書というものを提出するようになっているのかどうなのか、これが二点目。三点目は、これは個人に渡されるお金でございますから、当然、個人の雑所得になるわけでございますが、これの税務申告というものはされたのかどうなのかという点をお伺いします。
○尾身国務大臣 ただいまの質問につきましては、今初めて伺った質問でございまして、事前通告がございませんでした。
我が党の活動についてのお話でございますから、まさに自民党の政治活動の話でございまして、内閣の一員としてこの点について私が説明することは適当でないと考えておりますので、御容赦いただきたいと思います。
○石井(紘)委員 私は先日、鈴木宗男さんの、主として北方領土上におけるところのさまざまな施設建設等々の事業を受注した企業各社から、その他の各社から国民政治協会への献金が相当額あるということを申し上げたわけでありますが、実はその後、自民党の財務に大変詳しい方から御忠告をいただきました、説明をいただきました。それによりますと、国民政治協会から自民党本部へそのお金が行って、そしてそれが個人の政治家に還流するという仕組みがありますよと。だから、自民党本部の財務というのは重要ですよということを言われたわけであります。
そして、調べてみたわけでございますが、ここに明らかにする事実は、一定のポストについた特定の政治家の影響力や口ききによって、国民政治協会になされたところの企業等の献金が自民党本部を経由して、そして政治家個人に行っているということでございます。
概略を申し上げますと、国民政治協会は例えば平成十年には七十四億の収入がございましたが、自民党本部へ同じく七十四億を提供しております。それから、十一年には五十五億のうち四十八億を、十二年には五十八億のうち五十三億円を自民党本部に流しております。
この自民党本部の中には、当然のことながら、政治活動費のさまざまな費目というものがございまして、これは選挙活動費、組織活動費、あるいは経常経費その他、ずっと全部あるわけであります。政党助成金はそれぞれでまた配分をされておりますし、また支部への交付金はそれぞれまた配分をされております。しかしながら、特定の個人に対する多額の支出があるんですね。
これは、例えば総務局長を務めた鈴木宗男さんには、例えば旅費、交通費とか研修会費とか調査費、これはそれぞれあって、そのほかに政治活動費という渡切費があるわけでございます。これが一億一千九百万円、平成十二年度でですね。ほかの費用は六百三十万円とか細かく書いておりますが、これは全部百万円単位でございます。どうもこれが、実は、支払い先の領収書も要らない。そして、これがいわゆるひもつき献金と言われる個人に還流される部分ではないかというふうに私は思うわけでございます。
ちなみに、鈴木総務局長は一億一千九百万円でしたが、その年の政調会長亀井さんは七千百万でございます。あるいは、総務局長同士の比較をいたしますと、前任者である尾身大臣は十年に二千九百五十万円、十一年に三千五百万円であります。この鈴木さんと比べてみると、けた違いでございます。少ないということですね。そのまた前任者の古賀誠さんは、五千三百五十万円でございます。ということは、鈴木宗男さんはその倍以上ということになります。
そして、この政策活動費というのが、どうも、そういう意味合いのものであろうと思われるのは、ほかにも多数の議員さんで、例えば、三億一千万円とか三億円台というのも相当あるということであります。そういう……
○渡海委員長 石井君に申し上げます。
申し合わせの時間がかなり経過しておりますので、御協力をお願いいたします。
○石井(紘)委員 あとは、資料でもってお出しをいたしますけれども、最後に私は国税庁に、きょうは来ていただいておりますが、質問はいたしません。このことを、これは、脱税あるいはまた贈収賄ということに深く、場合によったらこういう疑惑に発展する問題かもしれませんので、篤と聞いていただいたという意味で、国税庁にきょう私は、告発の意味でこういうことも申し上げておきたいと思います。
また、委員長に最後にお願いをしたいのは、こういう重大な疑惑、問題でございますので、これは決算委員会においてもひとつ取り上げて調査をお願いしたいということでございます。
○尾身国務大臣 この問題は自民党の政治活動の内容についてでございまして、私自身は自民党の一員として働いておりますけれども、ここでは内閣の一員でございますから、内容については申し上げませんが、自民党の政治献金については、政治資金規正法に基づいて適正に処理されていると確信をしております。
○渡海委員長 先ほどの石井君の申し出につきましては、後刻、理事会で協議をさせていただきます。
○石井(紘)委員 ありがとうございました。
なお、この中には、八百万円の、どうも……
○渡海委員長 御協力をお願いします、石井君。
○石井(紘)委員 タンザニアに送られたものとか、あるいは※ムルアカ氏に支払われたものもある。そういう意味で、ぜひお調べをいただきたいと思います。
ありがとうございました。
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《自民党事務総長 元宿仁 関連記事》
【Dappi問題の重大性】疑惑❗️自民党は、ネット世論工作に政党助成金(税金)を使っていたのか❓
2021年10月15日(金)
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12704094670.html
●闇の政治資金(2) 迂回(上)“洗浄”システム知る男
2004年9月21日(火)「しんぶん赤旗」
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-09-21/01_03.html自民党が財界に献金を要請するとき、実際の仕切り役はこの人物――。そういわれるのが自民党本部の事務局長、元宿(もとじゅく)仁氏です。
元宿氏は、財界から自民党への献金システムをつくった元経団連副会長兼事務総長(退任後経団連相談役)の花村仁八郎氏(故人)に見込まれ、三十数年、自民党経理畑で活動してきました。二〇〇〇年九月に経理部長兼任で党本部事務局長に。党本部献金システムの全ぼうを知り、党総裁の選挙応援にも大きなかばんを抱えてつきそう、と自民党関係者が語ります。
特捜部の聴取
この元宿氏が、今回、日本歯科医師連盟(日歯連)の不正献金事件を捜査する東京地検特捜部の事情聴取を受けていました。
その大きなテーマが迂回(うかい)献金でした。
日歯連から自民党の政治資金団体、国民政治協会(国政協)↓自民党本部↓政治家と迂回して流れていたことが発覚したのです。
日歯連会計担当の前常務理事、内田裕丈被告は「国政協への献金の封筒に政治家のあて名を書いた」と供述しました。つまり、国政協への献金のある部分は、最初から特定議員あてだったのに、その痕跡を隠すために迂回させたことを認めたのです。
元宿氏は日歯連の要望に応じて献金を迂回させました。なかにはわいろ性が問題になった献金もありました。旧橋本派への一億円の闇献金でも元宿氏は、迂回献金とするための相談にのった、と指摘されました。
この手法こそ、自民党が長年、疑惑の資金を“洗浄”するために使ってきたものでした。迂回献金は自民党内では「指定寄付」「指定献金」などと呼ばれます。過去の新聞報道をたどってみると、少なくとも一九八〇年には党本部でおこなわれていた、とする記事があります。二十数年以上の“歴史”があり、党本部や国会に長くいる自民党関係者には周知の手法です。複数の自民党関係者がこう証言します。
――指定献金は私も経験した。議員から党本部に「A企業からこれだけの金額が振り込まれるが、これはおれの口座に入れてくれ」と連絡する。また、企業も「これだけ振り込むので、これだけの金額はB代議士にまわしてほしい」と相手先を指定する。その結果、国民政治協会から自民党本部に回り、党本部から組織活動費や交付金などの名目で議員に渡る。このシステムに一番くわしいのは元宿氏だ(元自民党本部職員)。
――なぜ指定献金を使うかといえば、政治資金規正法違反やわいろとして摘発されないためだ。献金額の制約を超える場合、献金企業とのつながりを隠したい場合がある。職務権限とのかかわりもある。しかし、指定献金にすれば、いったん党にはいり、出所もわからない。いっさいは闇のなかだ。これは自民党の“英智”だ(元自民党議員秘書)。
党役員が了承
――指定献金は党役員が了承しているからできる。自民党の役員に事後であっても話を通す。要求されなくても黙認料というか、一定額を党側に渡すのは常識だ(元自民党議員秘書)。
その迂回献金に捜査当局がメスを入れようとした事件がありました。一九九三年に表面化したゼネコン汚職。当時自民党前衆院議員で、現在は民主党参院議員の渡辺秀央元郵政相への献金でした。(つづく)
“洗浄”システム知る男
●自民党本部の使途不明金
党本部の「組織活動費」「政策活動費」名目の支出、高額な使途不明金
公益財団法人政治資金センター 2017.03.17
https://www.openpolitics.or.jp/investigation/2017031701.html
” 政党交付金(税金)を受け取っている政党、特に自民党本部は、幹事長などの一部の国会議員個人に対し「組織活動費」・「政策活動費」名目で寄附しており、それが、最終的にいつ、何の目的で、誰に対し、支出されたのか、どこにも報告されていないという重大な問題があります。”
●※ジョン・ムウェテ・ムルアカ プロフィール
ザイール(現・コンゴ民主共和国)出身、日本で活躍するタレント、電気工学研究者、国際政治評論家。科学技術庁放射線医学総合研究所研究員等を経て、千葉科学大学危機管理学部特担教授、総務省参与。加計学園、岡山理科大、倉敷美術大 参与。
鈴木宗男の元私設秘書であった。日本にて博士(工学)(東京電機大学)の学位を取得。2005年に日本国籍を取得し、帰化しており、現在の本名はムウェテ武流阿加。
●ムルアカ ニッポンをきく シリーズ
https://web.archive.org/web/20130819010458/http://www.muluaka1.com/writ1.html
ムルアカ ニッポンをきく02 - 前首相婦人 安倍昭恵さん
今回のゲストは前首相夫人の安倍昭恵さん。
ムルアカさんとは同年代ということもあり、気が合う2人。
前首相辞任の内幕、若くしてファーストレディーになった心境、今後の活動などを新聞紙上で初めて語った。
ムルアカ 40歳代はおそらく初めてだと思いますけど、ファーストレディーになられた感想はいかがでしたか。
安倍昭恵 (夫の安倍晋三前首相が辞任して)もう半年たちましたが、今思うと「自分はそんな立場だったのか」というのが正直な感想です。でもいい経験になりました。若くて至らない点があったと思うし、周囲からみてもそうだったと思いますけど。いろいろな方に支援していただきました。私なりに若々しい外交ができればと思っていましたが、若いという意味では率直に他の首脳夫人に「何でも教えてください」といえました。
ムルアカ 国民の多くは総理が記者の質問に答える範囲でしか、官邸の(仕事の)大変さを知らないと思う。昭恵さんも安倍前首相が病気で入院されて大変でしたね。
安倍 官邸は私にとって別世界。いるだけでプレッシャーでした。オフィスの方の大変さは実際は見ておらず、外遊についていった範囲ぐらいでしか分からないですけど。主人が公邸に帰って、少しの時間いっしょにいる中で、「相当ストレスがあって大変なんだろうなあ」と、ずっと感じていました。特に最後の方は夜ちゃんと寝られないとか、食事をきちんととれないとか、次々と体調の問題が起こって。一方で、すぐに決断していかないといけない責任がありました。「一国のトップの責任は全然違うんだなあ」と主人の言動から感じました。私にもやることがあったとはいえ、健康面のケアをもっとできたのかなという後悔はあります。主人は大変だったと思います。
ムルアカ 辞任はいつごろ知ったんですか。
安倍 主人にいわれたのは数日前。日程をキャンセルしたりしていて、約束は破らない人だったので、体調が相当悪いのだなと分かっていました。辞任直前(2007年9月)にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議へ出席した際の会見で、(テロ対策特措法の延長法案ついて)主人は「職を賭していく」と発言しました。「辞任を覚悟しているのかな」という感じでした。具体的に辞めるとはいってたかはよくおぼえていませんが、いってなかったと思います。私からは参議院選挙に敗北した際に「辞めないの」とは聞きました。でもそのときは元気だったので続投を決めました。私としては体を心配する一方で、何とかして切り抜けられないかという感じだったんですけど…辞任は分かる人に分かっていただければ。 □勇気ある決断
ムルアカ 時がたち、冷静になれば判断が正しかったと(世間も)思えるようになると思う。前首相は「迷惑をかけられない」と辞任され、政治の空白を作らなかった。国益のために立派で正しい判断をしたと思う。ただ、問題はタイミングです。
安倍 主人は持病を抱えていました。首相になっていいかどうかは別として、これまで大丈夫だったので、首相になっても大丈夫との判断でした。だけどストレス管理がうまくいきませんでした。責任を果たせないのに、首相の椅子(いす)にしがみついていてもしようがないというのが主人の考え。もちろん無責任だという批判は想像されましたが、国のことを考えた勇気ある決断だったと思います。
ムルアカ ところで、ファーストレディーは晩餐(ばんさん)会でもご飯を食べるだけではなくて、服装や言葉遣いに注意したり、マナーの勉強もしないといけない。高齢ではできない部分もあります。過去の首相夫人はあまり表に出ませんでした。
安倍 でも過去の首相夫人はそれ以前に、ご主人とともに経験を積まれておられます。私は勉強不足な面ばかりだから…。
ムルアカ 私は逆だと思う。人間は年をとるとどうしても脳の働きは衰えます。
安倍 それは年ではなくて、人によると思いますよ。 ムルアカ 外国の大統領夫人には、夫のサポートをするだけでなく、国民の代表として世界で活動する人が多い。これからどうしたいですか。
安倍 今は(ファーストレディー時代に)会えなかった人と会食したり。(趣味として)長刀(なぎなた)も始めました。具体的な活動はまだ考えていません。ただ1年間主人とともに(首相夫人として)活動する中で、いろいろな方に巡り合い、いろいろな国で障害者施設や学校を見て回りました。これからも何かしら役に立つ活動をしたいとは思っています。今もいろいろな施設を訪問したり、さまざまな分野の専門家にお話をうかがったり、細々と活動しています。
ムルアカ アフリカ支援についてはいかがですか。
安倍 アフリカや東南アジアには素晴らしい才能を持っているのに貧しくて教育が受けられない子供たちが多いので、教育を受ける機会が増えることが大切だと思います。今も多くの人が支援していますが、「なぜうまくいかないんだろう」との思いはあります。また私は日本人として誇りを持っているので、日本に生まれてよかったと思える子供が多く育ってほしいと思います。そういう子供がアフリカを訪れ、自分がいかに恵まれているかとか、人とのきずなの大切さを知って、相互理解が進めばいいですね。
ムルアカ 世界中に戦争や内戦で親を失い、貧しい生活を強いられている子供たちがいっぱいる。彼らに何らかの形で手を差し伸べられないものでしょうか。日本人は大変といっても飢え死にはしていない。(地道な)農業プロジェクトを通じて救うのも方法の一つでは。昭恵さんはこれから50年は生きられるでしょう。
安倍(大笑い) □支援は前向きで
ムルアカ 昭恵さんの世代は責任を持って活動しないと。
安倍 私はたまたま(親しい)作家の曽野綾子さんとアフリカに行きましたが、行かなければ遠い国でした。興味を持ててよかったと思います。そんな縁ができたからにはお役に立ちたいですね。日本でアフリカの国々のことをもっと知ってもらうのも一つだと思います。援助を差し伸べる人や団体は多いのに、なかなか援助の成果が出ていないように見えることは残念だと思います。
ムルアカ 私は援助のポイントがずれていると思う。
安倍 日本政府は先方が欲しい物のリストに沿って提供しています。精査しているとは思いますが、アフリカ側も本当に欲しい必要とする物を要求しないと。
ムルアカ そう、そこがずれている。例えば留学制度を使って海外へ渡る人は、それなりに裕福な人が多い。でも本当に貧しい人にチャンスを与えれば、明治時代の日本と同じように才能が広がる。日本という国も理解される。
安倍 主人はアジアに学校を作る50人の議員連盟に参加しています。50人いれば年1校作れます。私も何かやりたくてミャンマーに学校を作りました。まだ1つだけですが。訪れたことがありますが、どこへ行っても子供はかわいいですね。
ムルアカ 最後になりますけど、ファーストレディー時代に印象深かった人は誰ですか。
安倍 (ブッシュ米大統領夫人の)ローラさんでしょうか。ASEAN(東南アジア諸国連合)の会合でベトナムへ行ったとき、まだ右も左も分からない私にアドバイスしてくださいました。その後も何回かお会いして親近感がわきました。とても温かい方です。米国のファーストレディーにはスタッフが25人もいるということですが、大変だなあと思いました。あとルワンダの作家のイリバギサさんには感銘を受けました。彼女は1994年の大量虐殺で100日間トイレにかくまわれ、親兄弟はみな殺された。それにもかかわらず最後は犯人のために祈り、すべてを許したそうです。それを聞いて「なぜ許せるんだろう」と驚きました。すごく穏やかな人でしたね。
ムルアカ 私もルワンダの虐殺の真実を知る一人です。友人を何人も失っています。この出来事の根は大変深く、昭恵さんがルワンダの作家のひと言を聞いてそれをそのまま信用してしまうのはいかがかと思います。生き残った人間として命の重みを感じますし、多くの人が死んだ事実をもっと知る必要があると思う。この話は本が一冊書けるほど大変長いものです。今日は貴重な時間をありがとうございました。
(構成・井田通人)
【会想録】 □優しく強い人
安倍家とは、晋三先生のお父上、晋太郎先生の時代からのお付き合いです。22年前に外相だった晋太郎先生と、外国から来た政府要人との会談に私が参加したのがきっかけです。晋太郎先生の奥様にもお目にかかりましたが、大変美しく日本的な物静かな女性という印象でした。 残念ながら晋太郎先生は亡くなられ、晋三先生が国会議員になられました。当初は特別親しいわけではありませんでしたが、その後、昭恵さんとアフリカ関連の会合でお会いしました。出会いとは不思議なもので、互いの共通の友人が多かったことで信頼関係が深まりました。 同年代でもあり、家族ぐるみの交流をさせていただいています。昭恵さんはひと言で言うと思いやりがあり、優しく強い人。アフリカと日本のため、ダイアナ元英皇太子妃のように活躍していただきたいと願っています。
◇ 【プロフィル】安倍昭恵 あべ・あきえ
聖心女子専門学校卒業後、電通に入社。1987年に父・晋太郎氏の秘書を務めていた安倍晋三氏と結婚。6年後に晋三氏が衆議院議員となり、代議士の妻となる。晋三氏の首相就任にともない2006年9月から07年9月までファーストレディーとして活動した。「アッキー」の愛称で知られる。父は森永製菓の創業者一族で社長を務めた松崎昭雄氏。45歳。東京都出身。
ムルアカ ニッポンをきく23 - 学校法人加計学園理事長 加計孝太郎さん
■世のために危機管理学
「ムルアカ にっぽんをきく」の今回のゲストは岡山理科大など全国に35校もの学校を経営している学校法人加計学園の加計孝太郎理事長。
ムルアカ氏は対談のなかで、危機管理学部や生命科学部など時代を先取りする学部を作るなど、学校は教育の場であるとともに、まさに企業であると再認識させられた。
ムルアカ氏 理事長は中国地方を中心に、幼稚園から大学までいくつもの学校を運営されており、先進的な取り組みでも知られています。今日はそうした取り組みについて話をうかがえればと思います。学園の簡単な歴史について教えてください
加計孝太郎・加計学園理事長 広島の広島英数学館という予備校から始まったんです。戦争で出征した父(加計勉氏)が終戦で郷里に帰ると、原爆の被害を受けた広島は焦土と化していました。その後、広島文理科大学(現広島大学)を卒業すると、1955年に予備校を作りました。それを土台に62年、岡山県に岡山電機工業高校(現岡山理科大学附属高校)を開校。さらに大学の認可を得て、岡山理科大学ができました。それからは地域から申し出があって学校を作るケースが多かったですね。今は35校を運営しています。
ムルアカ 長い歴史があり、地域からの要望も多いということですね。最近では2004年に千葉科学大学を銚子市に開校されています。その中に危機管理学部という異色の学部があります
加計 米国のフィンドリー大学の理事をしているんです。見学するとここは、馬術学部などをもつユニークな大学で、その中に危機管理学部もありました。米同時中枢爆破テロ事件の6年前に作っていたんですね。テロ事件ではいち早く学生がボランティアとして現場に向かい、水や食糧をいち早く供給しました。日ごろから訓練していたんです。米政府もこれを高く評価しました。ちょうどそのころ、以前に岡山県副知事をしていた銚子市長から、高等教育機関を設置してほしいとの誘致に話があり、危機管理学部と薬学部を持つ千葉科学大学をつくりました。初年度は1次合格者の7割ぐらいの合格率で消防庁をはじめ、警察庁、防衛省などの公務員試験に合格しました。
ムルアカ 危機管理分野はまだ研究が浅く、日本だけでなく、世界全体にとってこれからすごく大事ですね
加計 千葉科学大学には薬学部も併設しています。薬学は鳥インフルエンザや新型肺炎(SARS)に関連していると同時に、危機管理も関係が深い。それらを日本の中に入らないようにすると同時に、日本の危機管理や薬学を学んだ人が世界で活躍するようになれば、世の中のためになるのでは。
ムルアカ 前にテレビで「アクアバイオ」という、すごく面白い話題を取り上げていました。グループで研究しているそうですね
加計 もともと岡山理科大学専門学校に「アクアリウム学科」をつくったことから研究が始まったんです。川が海に注ぐ場所、つまり河口には淡水魚と海水魚が共生してますが、同じ環境を(養殖のために)他の場所で再現できないかと思ったんですね。それで、海水魚と淡水魚が共生できる“好適環境水”を開発しまして、岡山駅に設置している水槽を見るとびっくりしますよ。タイと金魚がいっしょに泳いでいるんですから。試食会で養殖したタイやふぐを食べましたが(天然モノと)遜色(そんしょく)ないんです。しかも1・35倍の速さで成長するんです。将来的にはマグロまでいきたいということです。ダムなどで海魚を養殖できれば食糧問題の解決にも役立ちますから、すごく期待しています。
ムルアカ 最近は食糧問題が深刻化する一方、食文化が多様化・グローバル化し、生魚を食べない国の人も食べるようになっています。すごく重要な研究ですね。ところで倉敷芸術大学といえば生命科学部という学部があり、受験倍率が高いとか
加計 生命科学部では臨床検査技師、臨床工学技士、細胞検査士などの、救急救命士といった医療系の資格をはじめとするさまざまな資格を取得することができます。動物関係の研究にも取り組みたいと思って開設したんですが、これからは人と動物が共生しないといけませんし、重要性が高まると思います。将来的に獣医学部の設置を視野に入れた形で進めています。動物も人間も基本的なシステムは変わらないと思うんですよ。鳥インフルエンザ、BSEのように動物が原因で人が病気になるケースもありますからね。
ムルアカ 医療関係者の充実にも役立つ
加計 今の日本は人口が減少し、労働力も減りつつあるのに、医療分野では労働力確保が大変なんです。看護師や介護福祉士の育成が急務なのに、給料がすごく安い。特別養護老人ホームは順番待ちになっているにもかかわらず、世話する側の人材を育てようとする学校に入り手がいない。医療に限らず、さまざまな分野で学生が減っているし、海外から学生に来てもらい、日本で教育を受けてもらって、日本にとどまってもらえるといいと思うんですが。国のためにもなると思います。
ムルアカ そうですね。教育は日本だけでなく、グローバルで考えないといけない
加計 このあいだインドネシアから介護福祉士や看護師をめざして約200人の方々が日本に来ましたが、彼らは5年のうちに資格をとらないと帰国しないと、日本にとどまれない。欧米ではアジアの国々の資格をそのまま認めましょうというところまで来ているのに、日本では日本の資格を取得しないと認めないなど、対応が遅れています。
ムルアカ 最後に35のも学校を運営するのは大変でしょうが、今後の抱負を教えてください
加計 どんな学生にもいろいろな能力があり、それを最大限に引き延ばすことが使命だと思っています。これは建学の理念でもあります。その上で時代のニーズに合わせた運営をしていきたいですね。物理や数学といった基本的な学問分野をなくすことは考えられませんが、例えばその分野の定員80人を50人に減じ、その減じた30人を使って、新しい学部・学科の設置にチャレンジしていきたいですね。父いわく、いくら立派な先生がいても、研究の場がないとどうしようもない、と。それを提供するのが自分の役目だと言うんです。私も同感です。学生が個々の能力を伸ばせるような研究の場、施設を提供していきたいですね。(構成・井田通人)
【プロフィル】加計孝太郎
かけ・こうたろう 立教大学文学部卒。1971年から学校法人加計学園の要職を歴任。現在、加計学園理事長・総長、広島加計学園長、米国フィンドリー大理事、日本私立大学協会理事、岡山県国際交流協会理事、岡山県郷土文化財団理事などを務める。57歳。広島県出身。
【会想録】たいへん心の大きい人
加計さんは教育について全身全霊をかけて取り組んでおられます。加計さんと出会ったのは私がどん底の時、誰もが私に最も会いたくない時期でしたが、それでも私のことを快く理解してくれました。大変大きい心の持ち主です。これからグローバルの日本と世界の教育のためにともに将来を築いていきたいと願っております。
ムルアカ ニッポンをきく最終回 - 衆議院議員 安部晋三さん
■肩書生かし国際活動
「ムルアカ ニッポンをきく」の最終回のゲストは元首相の安倍晋三衆院議員。
「辞任の真相」「健康問題」「入閣」などシビアな話題だったが、ムルアカ氏とは家族ぐるみのつき合いをしているだけに、終始なごやかムード。健康を回復した安倍氏には拉致問題に取り組んでいたころのような精気がみなぎっている。
◆腸炎に耐えられず
ムルアカ氏 私は鈴木宗男先生と出会い、政治にかかわるようになりました。その当時、外務大臣だったのがお父様の晋太郎先生です。晋太郎先生にもよく声をかけていただきました。今日はご自身の今後や、混迷の度を深める最近の政治などについてお話をうかがえればと思います。地元の山口では大変人気があるようですが、まずは支持者たちとともにどのようにこれからがんばっていきますか
安倍晋三衆議院議員 今まで(1993年以来、衆院選に)5回当選して、15年選手になりました。それぞれの選挙を高い得票率で当選でき、(有権者のみなさんには)感謝しています。でも今度の選挙は私自身への(首相辞任に対する)さまざまな批判があるなか、厳しい戦いになると思います。健康を回復し、(辞任後は)一議員として原点に戻り活動してきました。なるべくたくさんの方の声を聞こうとして、(地元では)6月から120回近くミニ集会を開いてきました。「もう少し何とかならないか」とか、率直なご意見やご質問をいただきました。今まで東京での活動が忙しくて、直接地元の方々にお話をうかがう機会が少なかったので、良かったと思います。
ムルアカ 昨年9月に病気のため首相を辞められたわけですが、まだまだ安倍さんの真意が伝わっていない点が多く、真相を知りたいと思っている読者も多いと思います。もう一度ご本人から経緯を説明していただきたいのですが
安倍 今までにもずいぶん説明してきましたが、残念ながらテレビやマスコミになかなか体調について説明してもらえないことが多いですね。昨年(8月のインドネシア、インド、マレーシア訪問に伴う)外遊の際、ウイルス性の腸炎をわずらい、それが回復しなかったんです。もともと潰瘍(かいよう)性大腸炎という難病の持病があって、幹事長や官房長官を務めた際に再発しなかったので、首相になっても大丈夫と思っていたのですが。「ここは何とか乗り切りたい」と考え、(9月10日の)所信表明演説まではたどり着くことができましたが、とても長期にわたる国会での質問に応じられる体調ではないと判断しました。民間企業であれば代理を置けばいいことですが、病気で代理を置くことができないと法律で決まっていますので、辞めざるを得ないと。もっと早く判断すべきでしたが、何とか乗り切ろうと頑張った結果、かえって国民に迷惑をかけてしまいました。
◆権力者は常に孤独
ムルアカ かつて私がつらい思いをしたのは内閣総理大臣をされた大物の小渕恵三さんが病気で倒れてしまい、そのまま帰らぬ人となられたことです。あの時、こうすればよかったのに、ああすればよかったのに、と思うばかりです
安倍 命が惜しいのではなく、健康ではないと正しい判断ができないと思ったんです。首相は自衛隊の最高司令官でもある。国民の生命を預かっている以上、総理の職責を全うできないなら辞めるべきだと判断したんです。(他の多くの政治家と同じく)総理になるために政治家の道を選択したわけで、そう簡単に辞める判断はできないですし、ほうり出すはずがない。私も何とかならないかという中で判断したんです
ムルアカ 福田康夫さんも先日突然辞任されました。多くの人が官邸および公邸にはモンスターが住んでいるんじゃないかと。
安倍 官邸に入ることと首相のイスに座ることは、特別な責任を伴います。国民の生命・財産を守る立場ですし、新たな国の歴史を作っていかないといけない。間違った判断をすれば、とんでもないことが起こります。公邸では毎日(自分の政治が)正しいのか自問自答していました。
ムルアカ 亡霊が出るといううわさも。
安倍 (笑って)うわさは知っていますが、感じたことはありませんよ。でも外界と隔絶されている世界。自宅のように散歩するわけにはいきません。でもそれに耐えないといけない。権力者は常に孤独ですから。
ムルアカ 総理経験者として、これからの日本はこの難局を乗り切るにはどうすればよいと思いますか
安倍 今の日本が置かれている難局は、当面はサブプライムローン問題に端を発した金融不安と、原油高への対処。日本は石油やエネルギー資源を海外から輸入していますので、原油高の影響を直接受けますから。同時に構造改革の中で地方が大変苦しんでいる状態なので、経済が上向きになるよう成長のためあらゆる政策をとるべきだと思います。麻生(太郎)さんは今の状況を「全治3年」と表現して、第1弾として総合経済対策を実施すると思います。
◆次の選挙で信任を
ムルアカ この対談の第1回目には奥さまの昭恵さんにもご登場いただきました。いつも二人三脚で活動されていますが、元総理夫人の立場として国際的に活動していってはいかがでしょうか。
安倍 男性の政治家の場合、奥さんの助けがなければ活動はできません。私も妻と二人三脚で政治家人生を歩んできました。特に地元の後援会などは妻に任せていましたし、外遊にもついてきてもらいました。妻の方にスポットライトが当たっていることもありましたし。
ムルアカ ご自身の今後は
安倍 今度の麻生政権がしっかりと政策を遂行できるよう、元総理として応援団を務めないといけないと思っています。国際化の時代なので、さまざまな形で国際活動にかかわっていきたいと思っています。すでに4月に行われたドイツの産業見本市「ハノーバーメッセ」に出席しましたし、森(喜朗)さんも5月のTICAD(アフリカ開発会議)成功に尽力しました。妻はアジアに学校をつくる活動に力を入れていますが、そういうことも含め力を入れたいと思います。
ムルアカ 麻生内閣の誕生にあたっては、安倍さんが入閣するといううわさが取りざたされました
安倍 (入閣は)全く考えていませんでした。首相を辞任して1年。国民に迷惑をかけたので、まずは次の選挙で信任を得ないといけない。そこに集中したいと思っています。幸い元総理の肩書があるので、外国に行けばその国の政治指導者と会えます。その立場を生かし、日本の存在を発信していきたいですね。
=おわり
【会想録】 ■真面目で一生懸命
安倍さんはお父さん(晋太郎さん)の外務大臣の時代から存じております。二十数年前の話ですが。 安倍さんご家族とはいいお付き合いをさせていただいている仲です。昭恵夫人も親しい友人の一人です。安倍さんは真面目で、一生懸命な方で、今まで培った総理の経験を生かしていただきたいと願うばかりです。奥さんと二人三脚で頑張って欲しいと思います。
【プロフィル】安倍晋三
あべ・しんぞう 成蹊大学法学部卒業後、神戸製鋼所勤務などを経て、1993年衆院選に初当選(現在連続5期)。自民党幹事長、内閣官房長官などを務めた後、06年9月第90代内閣総理大臣(07年9月まで)。54歳。山口県出身。