マッチ擦る つかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや
〜1957『われに五月を』「祖国喪失」寺山修司
これは、復員兵の心情を歌ったものだと言われているそうですが、
寺山の父は、インドネシアのセレベス島で戦病死したとのことでした。
この歌を読むと、私には、
〜暗い霧の立ち込めた海辺、
男が夜の波止場でタバコに火をつける。
手元の小さな炎に、闇に沈んでいたものが幻想のように浮かび上がる。
無数の帰らざる兵士たちの霊魂が、
海の彼方から故郷に辿り着けず夜霧の粒子になって漂っている…〜
そんな情景が思い浮かんできます。
寺山修司の舞台では、
《照明を一切使わず、観客がマッチを擦って見る》
という演出をしていたと言います。
真実の世界というのは、闇につつまれており、
「見よう」という意思を持って
《マッチを擦った》手元のほんの小さな領域が
マッチの炎に、一時の間、ぼう〜っと、照らし出されるだけなのだ…
ということなのではないでしょうか。
寺山の天井桟敷の芝居は、
人間の深層心理の暗闇に、
マッチを擦り、マッチの軸が燃え尽きる一時の間、
小さな火を灯すようなものであるようにも思われます。
芝居がはねて、劇場から一歩外に出ると、
眩暈がするような明るい場所に投げ出されます。
人間が深層心理の中に隠した何らかの「傷」は、
これもまた隠蔽された「暴力」となって明るい社会に溢れかえっています。
人工的な光が闇を隠すかのように…
寺山修司のメッセージを内蔵した
野田秀樹の芝居『エッグ』の音楽を担当した椎名林檎が、
『エッグ』のために書いた「望遠鏡の外の世界」という楽曲は、
まさに、芝居が終わり劇場の扉を開けた途端に、
一気に、狂瀾の現実世界に投げ出される…
《エッグ(卵)の殻を割って外界へと生れ出る》
そんなイメージの楽曲だと感じます。
(『エッグ』についての私的解説は、コチラ↓の記事で♪
http://ameblo.jp/et-eo/entry-12200693014.html )
三宅純さんのアレンジによる、
日本列島に辿り着いた日本人の旅の記憶が喚起されるような
衝撃的なブルガリアンヴォイスの「君が代」から始まる
リオ五輪閉会式の東京オリンピックPR。
このフィナーレに、
林檎ちゃんの「望遠鏡の外の世界」が使われましたね。
1960年代末には、すでに国際的な活動を展開し、
高い評価を受けていた寺山は、
1972年ミュンヘン・オリンピックの芸術プログラム、
「オリンピックの演劇化」に劇団・天井桟敷を率いて参加し、
「走れメロス」の野外劇の公演を行っていました。
おそらく映像化されておらず、今では見る事は出来ないものなのでしょう。
(*よって、上リンク記事に書いたように、
野田秀樹の『エッグ』では、
劇中の寺山の遺稿を蘇らせようとする野田が演じる舞台監督の脚本は
核心に辿り着くまでに、二転三転と迷走するのです。)
このプログラムの趣旨は、
「オリンピックの歴史への反省をこめて、批判的に演劇化する」
ということで、
天井桟敷は、68年メキシコ・オリンピックにおいて、
オリンピック開催に反対した400人の学生が
軍によって射殺された事件「トラテロルコの虐殺」を題材にしたものでしたが、
10日間続けられた公演は、
アラブゲリラによる「イスラエル選手団宿舎襲撃事件」の発生の影響から、
IOC(国際オリンピック委員会)の指令で中止されました。
寺山ら天井桟敷は、演劇の中止に対し、
《大道具を炎上》させて、
抗議行動を行ったそうです。
これは、寺山が擦った
何時になく巨きな《マッチの炎》だったのでしょう。
そして、
寺山の擦ったマッチの炎を
オリンピックの松明のように、
現代の芸術家たちが、受け継いで走る姿が見えるようです。
↧
マッチを擦る 〜寺山修司と現代の芸術家とオリンピック
↧