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【nemさん 安倍下関自宅調査第3弾❗️】中部(マルハニチロ) ➡︎東洋エンタープライズ➡︎安倍

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わらしべ長者のような
nemさんの安倍の下関自宅の調査・第3弾❗️



安倍の下関自宅
山口県下関市上田中町2丁目16ー11

nemさんは、
こちらの土地が、安倍の手に渡る経緯を明らかにされました❗️

中部一次郎(マルハニチロ) ➡︎東洋エンタープライズ➡︎安倍‼️





さすがnemさん❣️
JPRSのWHOIS …こんなものがあるんですね〜❣️
サイトのドメイン名を調べることができる。

株式会社日本レジストリサービス(JPRS)は、ドメイン名の登録管理と、
ドメインネームシステム(DNS)の運用を通して、
インターネットの基盤を24時間×365日支えています。
https://jprs.jp/about/dom-search/jprs-whois/whois-guide-usage.html
https://whois.jprs.jp/


安倍晋三公式サイトのドメイン名=晋友会 中部一次郎‼️

ゴルフ侍の安倍晋三総理の旧友、中部氏は、
アマチュアゴルファーなんですね! ⛳️


「大洋漁業」の副社長を務めた中部利三郎。
中部利三郎は3人の息子がおり、銀次郎は三男。
兄に長男の一次郎、次男の幸次郎がいたが、
一次郎は1959年に日本アマを制している。⛳️
「大洋漁業」の副社長を務めた中部利三郎。
中部利三郎は3人の息子がおり、銀次郎は三男。
兄に長男の一次郎、次男の幸次郎がいたが、
一次郎は1959年に日本アマを制している。

伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎を生んだ 響灘の風と青松と白浜
取材協力:下関ゴルフ倶楽部
(GDOプレミアム倶楽部提携コース)
 〒759-6312山口県下関市豊浦町黒井850
 TEL:083-772-0206


「大洋漁業株式会社」とは、
水産加工食品を製造販売する「マルハ株式会社」の旧社名。
現 ・「マルハニチロ株式会社」

【沿革】
1880年 中部幾次郎が鮮魚仲買運搬業の家業を継ぐ(マルハ社史では創業とされる)。
1904年 事業の本拠地を明石林崎漁港から下関へ移転。
1922年 土佐捕鯨を買収し捕鯨業に進出。
1924年 株式会社林兼商店を設立。
1936年 南氷洋捕鯨に初出漁。
1943年3月 水産統制令により株式会社林兼商店の内地水産部門と、
      大洋捕鯨株式会社、遠洋捕鯨株式会社を合併し、
      西大洋漁業統制株式会社と社名変更。
1945年12月 水産統制令が廃止。西大洋漁業統制株式会社が
       西大洋漁業株式会社と改称。
       同月に大洋漁業株式会社と再び改称。
1946年12月 戦後初の南氷洋捕鯨に第一日新丸が出漁。
1947年9月 大洋漁業の持株会社である林兼商店が財閥解体による
       第5次指定持株会社に指定される。
1949年11月 プロ野球球団「まるは大洋球団」を結成し、
       セントラル・リーグに加盟。
1950年7月 大洋漁業株式会社が株式会社林兼商店を合併。
     「まるは大洋球団」を「大洋ホエールズ」に改称。
1951年 海外事業(インド他)に先鞭  母船式北洋サケマス漁業再開。
1953年 魚肉ハム・ソーセージ発売、養殖事業を開始。
1958年 西アフリカ海域にトロール漁業で進出。
1960年 飼料畜産など陸上部門に進出。
1964年 塩水港精糖株式会社に資本参加し製糖事業に進出。
1973年6月 株式会社千代田を合併。
1977年 新領海法が施行。排他的経済水域の設定により
    遠洋漁業は衰退へ向かう。
1993年 マルハ株式会社と商号変更。
    「大洋ホエールズ」球団を「横浜ベイスターズ」に改称。
1995年 中華人民共和国に合弁会社を設立。
1996年4月 株式会社大洋シーフーズを合併。
1999年 砂糖事業を分離し別会社化。
2001年 マルハペットフード株式会社をMBOにより独立
2002年 トロール漁業事業、冷蔵事業を分社化。
    横浜ベイスターズの全持株を東京放送、
    ビーエス・アイ(現BS-TBS)へ譲渡。
2003年 大阪魚市場株式会社と包括的業務提携を行う。
2004年3月1日 株式交換により
       「青森罐詰株式会社」「土谷食品株式会社」を完全子会社化。
2004年4月 マルハグループを持株会社方式により再編。
      株式移転により株式会社マルハグループ本社を設立し、
      マルハそのものはマルハグループ本社の完全子会社となる。
2005年3月 子会社パールエールを通じて保有していた塩水港精糖株式50.18%を、
      内24%を三菱商事に30億円弱で譲渡し、
      パールエース株式全部を塩水港精糖に売却し、製糖事業から撤退。
2007年6月13日 『割戻金』などの名目で、下請け会社から下請代金を
         不当に減額したとして、公正取引委員会から
         下請法違反の疑いで勧告を受ける。
2007年10月 ニチロとの経営統合・株式交換により、統合持株会社として、
       マルハグループ本社をマルハニチロホールディングスに商号変更。
2008年1月 ジェイティフーズの中国製冷凍ギョーザの食中毒問題を受け、
      自社で販売しているレトルト食品2品目を自主回収することを発表。
2008年4月 グループ内の事業再編により、
      水産業専業の株式会社マルハニチロ水産に改組。
2014年4月 グループ再編に伴い、マルハニチロ水産が、
      マルハニチロホールディングスを含むグループ5社を吸収合併し、
      マルハニチロ株式会社に改称。
      旧マルハの法人格へ事業を集約することになった。

【創業者・中部幾次郎の系譜】
・「子」に大洋漁業2代目社長の中部兼市、
 3代目社長の中部謙吉、副社長および林兼産業会長の中部利三郎。
・「孫」に幾徳学園元理事長の中部謙次郎、4代目社長の中部藤次郎、
 元大洋漁業副社長の中部新次郎、6代目社長の中部慶次郎、
 元マルハニチロHD副社長の中部謙、アマチュアゴルファーの中部銀次郎。
・「曾孫」に幾徳学園理事長の中部謙一郎、大東通商社長の中部由郎がいる。




こういうのもありました。

https://ja.asuka.io/whois



以前は、安倍事務所の政策秘書だった天川幾法氏が
担当者(JPNICハンドル)だったんですね。
最終更新は1997年11月11日。

天川幾法 元 安倍事務所 政策秘書が
Facebookで「加計からの陳情はなかった」




天川幾法氏が、秘書を務めていたのは、
1992年8月〜2008年7月だそうです。
「瓦解寸前の安倍事務所」…こんな記事もありました。⬇︎


井上、天川ら側近秘書が去り「瓦解」寸前の安倍事務所
FACTA 2008年4月号

安倍前首相の衆院議員会館(個人事務所)が「瓦解」寸前である。
本人の評判は、国会会期中の2月19日に
1泊2日のスキー・温泉旅行に出かけたことが暴露され、
「復権を本気で考えているとか勘違いもはなはだしい」(自民党三役経験者)
などと散々だ。
件の温泉旅行は「政界フィクサー」と呼ばれる
荒井三之進・アライ&アソシエイツ社長が経営する新潟県下のホテルに、
杉田和博元内閣情報調査室長(1966年警察庁入庁)と一緒に出かけた模様。
それはともかく、安倍事務所のほうは、長年「安倍命」で仕えてきた
政策秘書の天川幾法氏が去り、さらに安倍氏が首相秘書官(政務担当)に
大抜擢した総理府の元ノンキャリア官僚・井上義行氏も、
神奈川県小田原市議選立候補のために去った。
その「穴」を埋めるために事務所入りしたのが、
毎日新聞の元北海道支社長の西山猛氏である。
政治部記者時代、清和研(当時の安 ………

安倍首相側が起こした対朝日新聞社裁判
yanagiharashigeo.com 2007/05/24(Thr)
安倍首相の政策秘書ら3人が、「週刊朝日」(5月4・11日合併号)の記事で名誉毀損されたとして発行元の朝日新聞社や山口一臣編集長、担当した時任兼作・契約記者らに対し、総額4300万円の損害賠償と謝罪広告を求めて訴えていた裁判で6月18日、東京地裁で第1回口頭弁論が行われる。
「週刊朝日」で問題となったのは、長崎市長を銃殺した犯人の所属する暴力団と安部事務所が関係したように記述した記事で、すでに同誌は編集長名で自主的に各紙へ謝罪広告を掲載したが、その謝罪広告の記述内容さえ名誉毀損にあたるとして5月9日に提訴したもの。原告となったのは、飯塚洋・元政策秘書、天川幾法・政策秘書、初村滝一郎・公設第2秘書の3人。
これら3人の原告は、さらに3月25日にテレビ朝日系列で放映された報道番組「サンデープロジェクト」のなかでコメントした朝日新聞の山田厚史編集委員や朝日新聞社に対しても5月17日、総額3300万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて民事提訴している。訴状によると、番組の中で山田氏は、「日興証券には安倍事務所にすごい強い常務がおられて、その人が今度これをやって将来社長だなんて噂がね、ありますよ」と述べ、安倍事務所の働きかけによって日興コーディアル証券が上場廃止を免れたとの印象を一般視聴者に強く与えたとしている。この裁判では、なぜか番組制作側のテレビ朝日は被告になっておらず、山田編集委員の使用者責任を問う形で朝日新聞社が被告に加えられている。
首相サイドによるこれら一連の朝日新聞社提訴は、NHK番組改編問題などをめぐる同紙報道への“意趣返し”との見方が根強くある。
長崎市長射殺事件

アクセスジャーナル 2007/04/19 執筆者: Yamaoka (3:47 am)
長崎市長銃撃事件で、警視庁も注目する安倍首相秘書トラブル

今回凶行の犯人が広域暴力団・山口組系「水心会」(本部・長崎市)幹部によると知って、本紙は「ハッ」とした。
つい先日、本紙はこの組のことを調べたばかりだったからだ。
この4月5日、本紙は“「安晋会」の仕切り役の報復? 『週刊ポスト』疑惑報道で注目されるある暴力団幹部逮捕事件”なるタイトル記事を報じている。 そのなかで「水心会」の名前を挙げただけでなく、今年1月31日、警視庁捜査員が長崎まで出向いて、別の幹部を銃刀法違反で逮捕したことを記している。
この幹部は拳銃3丁、実弾27発を所有しており、この関連の銃が犯行に使われた可能性もあると思ったからだ。
実際、さる警視庁筋はこう明かす。
そのなかで「水心会」の名前を挙げただけでなく、今年1月31日、警視庁捜査員が長崎まで出向いて、別の幹部を銃刀法違反で逮捕したことを記している。〔略〕  実際、さる警視庁筋はこう明かす。 「建設の仕事とか、交通事故とか、動機としていろいろ報じられているが、組の幹部ともあろうものが、その程度のことで殺るわけがない。59歳の年齢を考えれば、残りは一生刑務所だ。まず、口封じと見るべきだ。

アクセスジャーナル2007/04/05 執筆者: Yamaoka (12:50 pm)
「安普会」の仕切り役の報復? 『週刊ポスト』疑惑報道で注目されるある暴力団幹部逮捕事件

今週発売の『週刊ポスト』記事が永田町界隈で話題を呼んでいる。
詳細は記事をお読みいただくとして、この記事の主人公は、あの耐震偽装事件の主役の一人、「ヒューザー」小嶋進社長(当時)が国会で証人喚問された際、国交省幹部に会えたのはこの人の仲介のお陰と名前を挙げた飯塚洋氏(50)。当時、安倍晋三総理の政策秘書を務め、小嶋氏が同秘書と面識を持ったのは安倍首相の私的後援会「安晋会」メンバーになっていた関係から旨答えた人物。本紙でも既報の通り。
その飯塚氏、この3月末で秘書を辞任するという。
そのことと、公営ギャンブであるモーターボート・レースの千葉県内舟券売り場誘致で飯塚秘書が口利きをし、その見返りに高級乗用車2台をプレゼントされた疑惑があり、その件を右翼団体に糾弾されていただけでなく、その渦中に足を複雑骨折していたことが何らかの関係あるのではないか、という内容だ。
今回記事が注目を集めている最大の理由は、もちろん、この疑惑が事実とすれば安倍総理の地位も危なくなるからだが、この骨折があったとされる昨年11月以降、この件で糾弾をしていた右翼団体関係者が逮捕されており、報復による別件逮捕との見方も出ているからだ。

安晋会 裏金脈まとめブログ
http://blog.livedoor.jp/matrix_zero1/archives/2112832.html

情報整理
1;安倍晋三秘書(当時)飯塚洋は、モーターボートレース千葉県舟券売場誘致で口利きをし、それを山口組系暴力団「水心会」から糾弾されていた。糾弾の渦中に飯塚洋は足を複雑骨折した。
2;安倍晋三秘書(当時)飯塚洋を糾弾していた暴力団「水心会」は2007年1月31日、警視庁により逮捕された。安倍晋三による報復だとの見方がある。
3;今回、山口組系暴力団「水心会」が選挙期間中に長崎市長を殺害するというショッキングな行動を取ったのは、この千葉県での安倍晋三秘書と「水心会」のトラブルと関係があるのではないか?


自民党新総裁・安倍晋三氏ってどんな人?
朝鮮日報 2006/09/21
九州に有名な元在日韓国人の富豪がいる。パチンコ事業を展開する七洋物産の吉本章治社長(81)だ。今は日本に帰化しているが、2002年12月に韓国政府から国民勲章槿(むくげ)賞を授与された。韓国人留学生・日本人留学生に奨学金を出していたという功労での叙勲だ。
安倍晋三・自民党新総裁の地元にある下関事務所ビルは、吉本社長の妻が経営する会社の所有だ。吉本社長と安倍新総裁の関係は、安部氏の父・安倍晋太郎(1991年死去)元外相時代にさかのぼる。晋太郎氏の福岡事務所も、七洋物産本社ビルにあった。「安倍吉本」関係は、1980年代末に癒着批判が出るほど緊密だった。
朝日新聞9月4日付(西部版)には吉本社長が晋太郎氏を回想する文が掲載された。晋太郎氏が東京大学法学部を卒業、毎日新聞記者を経て初めて国会議員選挙に出馬した1958年ごろのことだ。「彼は孤軍奮闘した。(一人で奮闘する姿が)在日韓国人に似ていた。目つきが同じだった」
晋太郎氏は日本政界きっての親韓派だった。中曽根政権時代に4年間外相を務め、韓国政界と太いパイプを持っていた。全斗換(チョン・ドゥファン)政権時代に歴史問題などで韓日間に確執が生じると、彼は両国関係改善のため努力した。安倍新総裁はこんな父親の下で秘書生活を始め、政界に入った。
安倍氏の母方の祖父・岸信介元首相(1987年死去)は「日本の実質的な独立」「アメリカとの同盟強化」を実現する日米新安保条約を結んだ。日本の再武装を意味する改憲を「一生の課題」とした。安倍氏の改憲公約は母方の祖父から引き継いだものだ。岸氏も「日米同盟」という大きな枠組みから韓日関係正常化への道を築いた。岸氏は戦後、A級戦犯の容疑者として獄中生活を送ったことがある。しかし、衆議院議員を務めた父方の祖父・安倍寛氏は、太平洋戦争中に東条英機内閣に抵抗し、「不純分子」という烙印(らくいん)を押された清廉なハト派の政治家だった。
安倍氏が「政治の源流」と考えているのは、代表的なタカ派政治家だった母方の祖父・岸氏のほうだ。歴史問題については耳障りな発言ばかりしているが、安保問題については「アメリカとの同盟を軸に韓国を引き込むべき」という基本的な見解を持っている。中国と違い、韓国について「理念や価値感が同じ国」と考え、精神的な親近感も折に触れ顔をのぞかせる。ある自民党議員は「安倍新首相は慌てずに韓国の次期政権を待つだろう」と予想している。
東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版


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皆さま、いつもお読み頂きありがとうございます。
数日、ブログをお休み致しますが、
生きていますので、よろしくお願いします。





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