世界卓球で活躍した日本女子チームの石川選手が
韓国と北朝鮮の合同チーム「コリア」が急遽 結成され、
「ハプニングにプレッシャーを感じたが、
乗り越えることができてホッとした」というコメントを述べて、
これに関連させて、FNNが、
《スポーツは政治から自立しているべきだ》というような
韓国と北朝鮮に対して説教めいた記事を打った。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180508-00010003-fnnprimev-pol
反町 理、阿保ではないか?
難癖もいいところではないか。
国旗を掲げて国家を背負い、
競い合う国際スポーツ競技は、
初回アテネオリンピック以来、
ずっと国威発揚のために政治利用されている。
寺山修司は、こう指摘した。
「オリンピックはいつのまにかスポーツマンの祭典ではなく、
もう一つの戦争になってしまった。
クーベルタンは「国家の尊厳」に殺されてしまったのだ。」
近代オリンピックの創始者クーベルタンは、
「参加することに意義がある」
「オリンピックに参加することは人と付き合うこと、
すなわち世界平和の意味を含んでいる」と言ったが、
国家の尊厳のために、競い合うスポーツは、
戦争への士気を高めるために利用されている。
2020年の東京オリンピックは、
誘致に際する安倍総理の福島原発事故隠しの
「アンダーコントロール」発言に始まり、
新国立競技場のザハ案 白紙撤回、
エンブレムのデザイン 白紙撤回、
膨らむ経費、誘致のための賄賂疑惑…
問題が続出し、何もかもがガタガタの滅茶苦茶で、
リオオリンピックの閉会式の
東京オリンピック引き継ぎセレモニーのプロジェクトをオファーされた
アーティストにとっては、
まさに「火中の栗を拾う」ような仕事だったことだろう。
「火中の栗を拾う」とは、
イソップ物語をもとに書かれた
フランスのラ・フォンテーヌの『寓話詩』(1694年)の中の
「猿と猫」という物語からくる例え。
これは、ラ・フォンテーヌが生きた時代の国家間の争いを風刺した例え話だ。
Anglo-Spanish War〜1654年からスペインと戦争をしていたイギリスは、
1657年にはフランスを戦いに引きずり込んだ。
〜猿のベルトランと猫のラトンは、ある主人に雇われている二匹のごろつき。
悪知恵の働く猿のベルトランは、暖炉にくべられて焼き上がった栗をみて、
猫のラトンをおだてて栗を拾わせる。苦心して火の中から栗を掻き出すと、
猿は一人で平らげてしまった。怒る猫。
そこへ人間の女中があらわれて、二匹は慌てて逃げた。〜
アーティストは、政治への風刺的メッセージを暗喩的に作品に込める。
日本のオリンピック引き継ぎセレモニーを引き受けたのは、
佐々木宏 (電通グループ シンガタ株式会社 クリエイティヴディレクター)
菅野薫 (電通 映像作家)
MIKIKO(振付家)
椎名林檎(音楽監督)
以下は、私個人の解釈だが、
安倍を『スーパーマリオ』役に起用した演出は、
収束などしていない福島原発事故隠しに対する
クリエーターたちの痛烈な皮肉が込められている。
福島からリオにメルトスルーする「チャイナシンドローム」ならぬ
「リオシンドローム」を表現している。
国際舞台で福島の悲しみを踏みにじった嘘つきの安倍の
本当の姿を炙り出した格好だ。
オープニングの三宅純氏によるアレンジの『君が代』は、
ユーラシア大陸の東西が交差する地の
女性合唱ブルガリアンヴォイスによって歌われた。
日本国だけの歌ではなく、
君が代 =Your world. Our world を意味する
世界中の人々の平和を願う大きな歌になっている。
そして、スカート姿の丸い卵頭ちゃんが円を描く。
母から娘に受け継がれていくミトコンドリアDNAをイメージしているのだ。
受け継がれていく命の卵だ。
そして、エンディングの椎名林檎のインスト『望遠鏡の外の世界』は、
野田秀樹 Noda Mapの芝居『エッグ』(2012年、2015年再演)で
使われた楽曲だ。
野田秀樹の『エッグ』に内蔵されているのは、
二十世紀最大のカルチャーとして君臨した“スポーツ”と“音楽”、
そして、“戦争”。そこに向けられる大衆の熱狂。
「陽気でしょう? 狂気でしょう?」
寺山修司の霊魂にシンクロする強烈な「オリンピック批判」。
1964年東京オリンピックの英雄・円谷幸吉、アベベの悲劇。
1940年日中戦争によって東京オリンピック、
そして、731部隊の「エッグ」を使った細菌培養。
生物兵器人体実験。
731部隊とEgg
『続・語りつぐ戦争体験4 満州第731部隊』
わたしらのやった発疹チフスは、動物培養でした。なにを使用したかというと、まずピヨピヨでした。ヒヨコの肝臓ですね。ピヨピヨになるまえの、卵よりちょっとかえりかけたときのをつかいました。班には、毎日、鶏卵がなん十箱ととどく。満人の農業組合を通じてはこばせる。それを孵卵器にいれて選別する。無精卵をとりのぞくのです。孵卵器にいれてしばらくすると、無精卵はかえらずにくさってしまう。それで有精卵だけに、プツンと注射針をさして生菌を植えます。おなかの胎児に、プツンと針をさすようなもんですわ。そりや最初はへんな気持ちがしました。でもそういったら、「おまえ、生卵たべるだろ。もっと残酷じゃないか」そういわれましてね。たしかに生卵をパチと割って、ツルッとすするってのも、おぞましいもんですね。目玉焼きなんていって、やりもしますがね。でも生きものの形になったものに針をさすのとまだ卵のうちとはちがうじやないかと思いましたよ。(P35)…しかし、こうやってだんだん平気になるんです。人間のマルタ実験だってね、平気になる。生菌を注射した卵は、孵卵器に十日間くらいいれて、卵をとりだす。そこでパチンと割ると、形になりかけたばかりのちいさなヒヨコがでる。手のひらのくぼみにはいってしまう、ピクピクうごくくらいのクチャリとしたものを、小さいメスで裂いてとりだすのが肝臓でして、赤い色の、ほんの豆粒くらいなもんでした。班員は全員大きなマスクして、目だけ光らせて、もくもくとやります。まえにおいた乳鉢へ、赤い豆粒を、ポトポトいれていく。三十人の隊員中、少年隊員は五人いましたがね、まるで顔じゅうマスクのようなぐあいで、大バケツにわった殻をすてたりなんかしていました。乳鉢へいれた肝臓は、乳棒ですりつぶします。こうして生菌がつくられるんです…(p36-7)
【関連過去記事】
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12200693014.html
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12201914939.html
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【卓球コリアにFNNが説教⁉️】オリンピックはもう一つの戦争になってしまった〜by 寺山修司
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