後藤さんのガイドを務めたひとり、
シリアのジャーナリスト・Yasser al-Haji(ヤセル・アルハジ)氏。
後藤さんについて、
「知らない。(後藤さんには)イスラム国の支配地域に(別の)助手がいた」
「今自分が話せばケンジの命が危うくなる」と謎の発言をし、
ヤセル・アルハジ氏は、
後藤さんが殺害される前後には、
当時、このようなツイートをしていた。
yasser alhaji @yasseralhaji1 2015年1月26日
Soon he will be free ..
one week in Japan as we agreed will be great ..
Home cooking Japanese food too ...
(間もなく彼は自由になるだろう・・
一週間で日本だ 我々が上手く行くだろうと同意したように・・
日本食の家庭料理も・・・)
yasser alhaji @yasseralhaji1 2015年2月4日
Journalist suppose to say the truth ..
what happened when they lie and make up stories..
(ジャーナリストは真実を語っていると思っている・・
何が起こったか彼らが嘘をつき作り話をする場合・・)
湯川さんが殺害された日、
ヨルダンに監修されていたサジダ・リシャウィとの
人質交換要求(2/24)が出された。
何故なのか背景は解らないが、アルハジ氏は、
人質交換によって、後藤さんは助かると確信していたようだ。
しかし、人質交換交渉は失敗し、
ヨルダン人パイロットと後藤さんは、殺害(2/1)されてしまった。
そのあと、
「ジャーナリストは嘘をつき作り話をする」と発言しているが、
これは、誰のことを指して言っているのだろう?
後藤さん事件について発言した日本のジャーナリストのことだろうか?
他にもいるのかもしれないが、
私が、目にしたのは、
積極的に、後藤さんの件について発言していた
ジャーナリストと言えば、西谷文和氏だ。
西谷氏は、
下のツイートのような"推理"を展開していたが、
同じような内容のことをTVでに解説しており、
その際には、単に"推理"というだけでなく、
「現地情報によると」と言っていた。
【西谷氏2015/2/23のツイート】
西谷文和 @saveiraq
後藤さんは百戦錬磨のジャーナリストで、危険を察知する能力は素晴らしいものがあったと思う。ではなぜラッカに入ったのか?ラッカ入りする前の映像が流れているが、「生きて帰ります」と言っているように「危ないけれど、取材はできる」という勝算があったはず。何らかの保証、ギャランティーがあった
2015年1月23日 01:22
西谷文和 @saveiraq
後藤さんんがイスラム国になぜ入ろうと思ったのか?それはイスラム国からの「安全保障」があったからだと思う。イスラム国はジャーナリストに対して「許可証」を発行する。「国」なのだからビザのようなもの。後藤さんはそれをゲットしていたのではないか?だから危険なラッカに入ろうとしたのでは?
2015年1月23日 01:24
西谷文和 @saveiraq
ドイツのジャーナリストはイスラム国の許可証をゲットして、取材して無事に帰国している。後藤さんもそうした状況を知っていて、イスラム国を取材できると考えたのではないか?だがイスラム国は想像以上に金に困っていた。かつてはジャーナリストの取材を受け入れていたが「金になる」と思いはじめた。
2015年1月23日 01:28
西谷文和 @saveiraq
後藤さんはガイドに騙された、と言っているが、真相はイスラム国の許可担当者に「取材させてあげる」と騙されて、許可証を発行されたのでは?ガイドとイスラム国の入国担当者がグルだったのかもしれない。イスラム国は金に困っているので、日本人は「金のなる木」だと思われたのかも。
2015年1月23日 01:31
西谷文和 @saveiraq
そう考えないと、後藤さんほどの方が、ラッカに行こうとするはずがない。イスラム国を客観的に取材したい、と思うのはジャーナリストとしては当然。「現地の真実を知りたい」と思う真面目な人を騙して、身代金ビジネスを進めたのは、やはりガイドというより、イスラム国そのもの、なのではないか。
2015年1月23日 01:34
*****
失踪前の後藤さんは、
シリアの北アレッポの「マレア」に行って取材すると言っていた。
そして、このマレアという小さな町は、
後藤さんのガイドのヤセル・アルハジ氏の
ホームタウンだ。
ヤセル・アルハジ氏とは、
いったいどんな人物なのか?
アルハジ氏のサッカーに情熱を注いだ青春時代から、
前アサド(父)政権から、元アサド政権下、
独裁暴政による市民への圧制、虐殺、
レジスタンス運動、戦争(2011/1/26~シリア内戦)に吞みこまれていく。
彼のライフストーリーの記事など目に留まったものを
下に(①②③)まとめてみた。
彼は政府の警告を受けてアメリカに渡り、
マレアに帰省後も西側ジャーナリズムの援助を行っている。
サッカーの国民的英雄とはいえ、
なぜアサド政権が彼を殺さずに国外退去を警告を受け(国外に逃がされ)、
アメリカに渡ることが叶い、
米大学のサッカーコーチのポジションを得ながら
ジャーナリストとしても活動して帰国し
故郷にサッカー場施設を作るほどの大金を得ることができたのか?
現在もアメリカメディアを現地で援助して通じつつ、
アサド×露のシリア市民虐殺を報じる彼は、
アメリカと反アサド勢力のパイプ役のようだが、
なぜ、アサド政権に見逃されているのか? 謎だ。
先に、ヤセル・アルハジ氏の
解る範囲のプロフィールを。
氏名 ヤセル・アルハジ Yasser Alhaji
職業 Journalist
Editor-in-chief at the Syrian mirror magazine
学歴 ダマスカス大学 Damasco, Dimashq, Syria
出身 アレッポ マレア Aleppo Marea
・1980年代半ば、マレアで大変強いアマチュアサッカーチームを創設し、
監督をしていた人物でアレッポ地区大会に勝利に導いたこともある。
シリア代表チームでプレイしたスター選手でもある。
・1990年代、ジャーナリストとして政権に対する批判的な報道を行い、
国外退去しなければ逮捕するとの警告を受け、
ドイツ、そして、国連をカバーするシリアメディアの
ジャーナリストとして働くためにアメリカに渡った。
・アメリカでは、ジャーナリスト、及びNYのサフォーク大学で
サッカーコーチをしていた。
・2011年初頭、シリアに帰国。
ロシアに留学し、レストラン経営者として成功していた
旧チームメイトと共にマレアに子供のためのサッカー場及び施設を作る。
・マレアが政府軍によって爆撃される。
IS、反政府軍の紛争地となり、サッカーの夢は潰えた。
・現在、トルコ在住、 自由シリア軍の報道記者として、
外国人ジャーナリストのシリア取材を援助している。
(*アルハジ氏のストーリーの詳細は、下記(記事後半)に。)
①戦争に引き裂かれたサッカーチャンピオンチーム
http://www.bbc.com/news/magazine-35170833
(以下は↑記事の概略)
この写真は、シリアの北アレッポ、
Marea(マレア)という小さな町の端にある
スポーツセンターの壁にかかっている写真だ。
1980年代半ばに撮られたものである。
この写真上段右端に写っている人物が、
このアマチュアサッカーチームの監督であり、主将であり、創設者である
Yasser al-Haji(ヤセル・アルハジ)氏だ。
このチームは小さな町の素人だったにもかかわらず、
アレッポの街の大きなプロチームを破り、
地方選手権に勝利するほどの強いチーム、
まるでgiant killersだったという。
2012年の後半、アサド政権に蜂起した反アサド勢力との紛争が激化し、
政府軍はマレアを爆撃した。
この写真の前列右から3番目のラエド・アル・ナジャー Raed al-Najjarは、
チームを勝利に導いたカリスマ的な選手だったが、
現アサドの父の政権時代の少なくとも1万人が死んだとされる
Hama Massacre(ハマー大虐殺 1982)の時、
全国で処刑や失踪事件があったが、
与党バース党分裂のあと政治闘争があり、
秘密警察によって政治家が逮捕され
二度と戻らないというケースが頻発した。
拷問され処刑されるのである。
当時10歳のラエドの父も秘密警察に捕えられた。
ラエドは、24歳のときにロシアに留学し、
2軒のレストランを経営する実業家になった。
一方、ヤセルは、1990年代政治的な理由のためにシリアに残り、
その後、ジャーナリスト及び体育教師をしていたが、
彼の記事は、当局に対し非常に批判的であったため、
国外逃亡しない限り逮捕されると警告され、
ヤセルは、まずドイツへ、その後、米国へ渡った。
ヤセルは2011年初頭、
政府への抗議行動に参加するためにマレアに戻り、
そして、数ヶ月後ラエドが続いて戻ってきた。
政府軍は、マレアを放棄し、
ヤセルとラエドは、マレアの子供たちのために
スポーツグラウンドと遊び場となる建物を作る夢を達成した。
そして、あの写真の昔の仲間が集い、最良の日を祝った。
しかし、この幸福は長くは続くことはなかった。
政府軍がマレアを爆撃し始め、
チームは再び散り散りにならざるを得なかった。
ラエドはロシアに戻り、ある者は家族を連れて
トルコとの国境を超える危険なルートを車で走り抜けた。
マレアはISに3方向を囲い込まれ、
彼らの夢のスポーツグラウンドは、
ISと他の反政府軍の銃撃戦の間にあったのだ。
かつての最強の少年アマチュアチームメンバーは、
ある者は、自由シリア軍の戦士となり、
ある者は、農産物の卸販売を行い、
政府軍にも農産物の供給している。
そして、ある者はマレア市長となり、
政府軍の諜報部員となった者も、
政府空軍で働いた者もいる。
俊足のサッカープレイヤーだった長年の政府の空軍兵士だった彼は、
現在、難民キャンプで800人の子供たちに毎週金曜サッカーを教えている。
しかし、彼は、ただ涙を流すしかないときがある。
彼には子供たちのこのような質問に答えることができないからだ。
「他の国の大統領は自分の国に爆弾を落としたりしないのに、
なぜバシャールはシリアに爆弾を落としているのに大統領なの?」
「お家に帰ったらパパは僕を待っててくれるよね?
パパ、約束のプレゼント、買ってくれたかな?」
現在、ヤセルはトルコに住んでいる。
そして、シリア取材を求める外国人ジャーナリストを助けている。
②ヤセル・アルハジとアメリカ
http://berlin-fotofestival.de/speakers/yasser-alhaji-2/
(もうひとつ、ヤセル・アルハジ氏のプロフィール↑記事)
ヤセル・アルハジは、シリアのジャーナリストであり、
彼は、国連をカバーするシリアメディアのジャーナリストとして働くために、
アメリカに渡ったが、その前は、長年シリア代表チームでプレイした
元フットボールのスター選手であった。
ジャーナリストであることに加え、
ヤセルは、ニューヨークのロングアイランドのサフォーク大学で、
5年間、サッカーのコーチをしていた。
しかし、祖国の独立の革命運動のメディア活動家として働くために、
ギリシャからシリアに戻った。
彼は、Free Syrianの報道機関の一員として、
ヤセルは、多くの西側ジャーナリストを支援している。
そして、 Robert King や、New York Times, BBC, Vice Media,
RTL, La Figgero, RTLなどからの他の多数の記者と共に
非常に親密に働いてきた。
ロバート・キングとは、
アメリカの映像及び写真ジャーナリスト。
1991年以降の紛争地帯の取材行ったキングのドキュメンタリー映画
「Shooting Robert King」がある。
現在は、ヨーロッパで1番売れている新聞、
ドイツのタブロイドの日刊新聞・ビルト (Bild-Zeitung)の
ビデオ・クリエイティブ・ディレクターである。
③ヤセル・アルハジカナダの大学での講演
アサド政権のサリンガスを含む化学兵器使用について、
Embassy (magazine=カナダ大使館の外交政策に関する新聞)は、
ヤセル・アルハジ氏のカナダのカールトン大学での講演を、
Inside Syria's 'Arab Nightmare'と題して記事にしている。
************
後藤氏事件に関わるヤセル・アルハジ氏の
当時の報道内容をメモしておくと、
およそ次のようなものだった。
~~
・2014年10月24日昼ごろ、
トルコ南部のキリスからシリアに入国。
外国人記者の審査を担当していたユーセフ・ハラプさん(21)は、
検問所で後藤さんの越境審査をした。
後藤さんは「2人のシリア人」と現れた。
アラビア語の通訳や運転を担当する取材助手で、
ハラプさんとも顔見知りだった。
・その同行者「2人のシリア人」とは、
アラ・エルディン・アルズイムさんと、
ジャーナリストのヤセル・アルハジさんだ。
・越境審査官のハラプさんによると、後藤さんは、
「マレアに行き、数日滞在して空爆の様子や市民の生活を取材する」と話した。
ハラプさんが「(反体制派の)警護が必要か」と聞くと、
後藤さんは「いらない」と答えたという。
・同行者の一人、アラ・エルディン・アルズイムさんは、
マレアに後藤さんらを送った。
アルズイムさんは、毎日新聞の電話取材に
「25日にも後藤さんと会った。携帯電話や日本の連絡先を渡され、
1週間待って(連絡が無ければ)日本の友人に連絡してほしいと言われた」
と話した。後藤さんは同日、イスラム国の支配地域に入ったと見られる。
・ハラプさんによると、
アルズイムさんが、ジャーナリストのヤセル・アルハジさんに
後藤さんの状況を聞くと、
「知らない。(後藤さんは)イスラム国の支配地域に(別の)助手がいた」と述べた。
ハラプさんも今月23日、アルハジさんに
「日本の人々が心配している。知っていることを話すべきだ」と伝えたが、
「今自分が話せばケンジの命が危うくなる」と拒否されたという。
・THE JAPAN PRESS INC.の藤原亮司氏によると、
ヤーセル・アルハジ氏は、FSA(自由シリア軍)にパイプを持ち、
軍関係者とジャーナリストをつなぐフィクサーだ。
元サッカー選手で、自分のサッカーグラウンドももっているという。
カネに汚く、英語もしゃべれるアメリカナイズされた男が、
イスラム国への密告者が多い危険な地域で
あそこまで生きてこられたのが不思議だ。と語った。
~~
↧
後藤氏のガイド=ヤセル・アルハジ氏のライフストーリーと謎
↧