Shin Hori@ShinHori1
文春を読めばわかりますが、警察は、木原氏の圧力が怖いのではなく、妻を逮捕して仮に材料が足りず空振りだった場合(不起訴)の責任追及が怖いのです。
しかも「一般人よりハードルが高い」と言ってるので、一般人なら逮捕して空振りだったとしても余り気にしなくて良いと思ってることがわかります
午前10:41 · 2023年7月8日 6.4万 件の表示
Shin Hori@ShinHori1
⇒逆説的になりますが、実は文春の記事の得た事実そのものが、文春が広告でなんとなく印象づけようとしているのとはかなり違うニュアンスになっています。
それを知るためにむしろ文春の記事原文をみんな先入観ぬきで読んだ方が良いでしょう。
Shin Hori@ShinHori1
⇒政権の権力でも、妻の逮捕そのものを露骨に阻止はできないでしょう。但し妻を逮捕しておきながら材料不足で空振りだったら、その時は政権から警察の組織や人事に徹底した報復が行われる可能性があります。大義名分を得るわけですから。警察はそれを恐れてるのでしょう。危険な賭には乗れない、と
Shin Hori@ShinHori1
⇒逆にいうと妻が一般人なら、もし空振りだったとしてもせいぜいメディアで少し苦言を言われるくらいですから、警察は「低いハードル」で逮捕できる、というわけです。本当の問題は木原氏ではなくこういう体質や構造ではないかと思うわけです。
✔️関連記事
【孫崎享3/28】ウクライナ戦争と安倍銃撃事件の間にある「つながり」とは? 時系列
2023年03月30日(木)
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12796015554.html
元総理の暗殺〜右首を撃ったのは誰か?
2023年04月19日(水)
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12799265092.html

必聴動画 https://twitter.com/KinokokumiNeo/status/1676916607959068672?s=20
安倍暗殺一周忌
孫崎享解説
安倍を殺したのは
山上ではない
【ライブ配信】岩上安身による 元外務省国際情報局長 孫崎享氏インタビュー 第2回
Movie Iwj 2023年7月6日(木)
⭕️安倍発言 22年2月



⭕️安倍発言 22年5月

⭕️安倍発言批判 22年6月
日本版『エコノミスト』
2022年6月13日
勇ましさに潜む「自立」と「反米」
安倍元首相の危うい立ち位置
=平田崇浩(毎日新聞編集委員)

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220621/se1/00m/020/039000c
⭕️安倍暗殺後 22年7月
英国『エコノミスト』再掲載
2022年7月14日

ーーーーーーーーーー
⭕️安倍発言に
「憤り」を隠せない…?
(あるいは、困惑せざるを得ない)
知米派政府関係者とは?
林芳正
Wikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/林芳正
”生い立ち
通産官僚である父・林義郎(山口県下関市出身)、母・万里子(山口県宇部市出身)の長男として、東京都で生まれる。1969年、父・義郎が第32回衆議院議員総選挙に旧山口1区から立候補することに伴い、一家で山口県下関市へ転居し、下関市立文関小学校に転入。1973年に下関市立文関小学校を、1976年に下関市立日新中学校を卒業。1979年、県立下関西高校を卒業した。1984年、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。
1984年、三井物産に入社。商社内では、物資部タバコ課に配属された。1989年に同社退社、林家のファミリー企業であるサンデン交通に入社、同社社長秘書を務める。1990年に同社退社、山口合同ガスに入社。
1991年4月、アメリカ合衆国のハーバード大学大学院に入学(身分は「特別研究生」)。
1992年9月、ハーバード大学ケネディ・スクールに入学。
また、1991年9月より米下院議員スティーブ・ニール(Stephen Neal)の銀行委員会スタッフを務めた。1991年11月に退職し、米上院議員ウィリアム・ロス(William Roth)の国際問題アシスタントを務めた。
1992年12月、父の義郎が宮澤改造内閣にて大蔵大臣に就任したため、大学院休学。帰国し、大臣秘書官を務める。1993年、国会議員政策担当秘書資格試験に合格。同年8月、義郎は大蔵大臣を退任。
1994年2月、ケネディスクールに復学し、1994年6月に修了。
同年8月、義郎の秘書となる。”
林外務大臣会見(令和4年3月1日)
「核シェアリング議論(安倍の意見)を否定。非核三原則を堅持する。」
外務省HP 外務大臣会見記録
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/index.html
▶︎ウクライナ情勢(対露経済協力)
【読売新聞 阿部記者】ロシアとの経済協力についてお尋ねします。今、冒頭で、ロシアに対する経済制裁のご説明もありましたけれども、今まで、日本としては、対話の窓口を閉ざすべきではないという考えの下で、協議というものを継続してきたと認識しているんですけれども、今回のウクライナ侵攻を受けて、この経済協力と平和条約交渉について、どう進めていくか、お考えをお聞かせください。
【林外務大臣】今回のロシアによるウクライナ侵略は、力による一方的な現状変更の試みであり、国際秩序の根幹を揺るがす行為であります。明白な国際法違反として、断じて許容できず、厳しく非難をするわけであります。
今こそ、国際秩序の根幹を守り抜くために、結束して毅然と行動しなければならないと考えます。我が国として、このことを示すべく、断固として行動をしていくということで、こうした暴挙には高い代償が伴うことを示していくということです。
国際社会は、ロシアの侵略によって、ロシアとの関係、これをこれまで通りにしていることは、もはやできないというふうに考えております。日本は、G7各国、国際社会と共に、ロシアに対して強い制裁措置をとってまいるということでございます。
▶︎核共有の議論
【共同通信 前田記者】核共有についてお伺いをします。今回のロシアによるウクライナへの侵攻に関連して、自民党内でも、核シェアリングに対して議論をする必要があるんじゃないかという声が出ていると思うんですけれども、大臣、この核シェアリングの議論というものは必要かという、どういうお立場かというのをご説明ください。
【林外務大臣】ご指摘のような発言があることについては承知をしております。政府としては、政策上の方針として、非核三原則を堅持していくとの考えには変わりがございません。平素から、例えば自国の領土に米国の核兵器を置いて、有事には、自国の戦闘機等に核兵器を搭載・運用可能な態勢を保持することによって、自国等の防衛のために米国の核抑止を共有する、といった枠組みを想定しているということであれば、非核三原則を堅持していくということから認められない、というふうに考えております。
【KRYニュースライブ】新山口3区に林芳正外相/安倍家と林家のこれまで/新山口1区は高村正大氏
山口放送 2023/06/16
岸田総理 日米首脳会談(5/23)で防衛費増額表明へ(2022年5月22日)
木原官房副長官 定例会見【2022年5月25日午後】
4:22〜防衛費の増額について
木原誠二
来歴
東京都渋谷区に生まれ、生後9か月から5歳までシカゴに居住。1979年5月にアムステルダムに移り、同年12月、新宿区立戸塚第二小学校へ転入。武蔵中学校・高等学校、東京大学法学部を卒業後、大蔵省に入省(証券局企業財務課。
1995年~97年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)留学。
※木原誠二HP https://kiharaseiji.com/#a-profile
99年~01年、英国大蔵省に日本人初の出向。
その際、サッチャー元首相と運命的出会いを果たし、政治を志す。
帰国後、主計局法規課勤務ののち、1999年~2001年 英国大蔵省に派遣。2001年7月 財務省大臣官房文書課長補佐(審査管理)兼大臣官房秘書課長補佐(調査)となり、2003年7月からは国際局の課長補佐を2年務めた。2005年7月10日 岩見沢税務署長に転任するも、急遽行われた郵政解散を受け出馬するため8月17日に財務省に復籍のうえ退職。
2005年の第44回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で東京20区から出馬し、現職の加藤公一を破り初当選した[6]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙には自民党公認で出馬するも落選。落選中は、縄文アソシエイツでコンサルタントとして勤務。政策研究大学院大学の研究員に就任。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に自民党公認で再び出馬し、加藤らを破って当選、国政に復帰した。
2013年9月の第2次安倍内閣で外務大臣政務官に就任。2014年9月に退任する。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で3選。2015年10月、外務副大臣に就任。
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で4選。
2021年10月、内閣官房副長官、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策担当)に就任(兼務)。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙で5選。
2021年12月、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策担当)を辞任。
2023年2月から内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)を兼務。
INSIDE JAPANESE POLITICS
Seiji Kihara: The policy guru behind Japan Prime Minister Kishida
Inspired by Margaret Thatcher, the protege also takes cues from Yoshihide Suga
Ryo Nemoto, Nikkei staff writer
JANUARY 15, 2022 12:00 JST
https://asia.nikkei.com/Politics/Inside-Japanese-politics/Seiji-Kihara-The-policy-guru-behind-Japan-Prime-Minister-Kishida
(抜粋1)
” But his political career suffered a major setback in 2009, when Kihara lost a reelection bid. "It is often said that while a monkey is still a monkey even if it falls from a tree, a politician becomes a nobody if he fails to be elected," Kihara said, repeating a common refrain among Japanese politicians that is meant to underscore the importance of elections.
The Japanese saying, "Even a monkey sometimes falls from a tree," is similar in meaning to "Homer sometimes nods." While the great Greek author is known for his epic poems, those poems are known for their continuity errors.
The question for Kihara at this point was how to keep trudging forward. "I thought I had to become somebody even if I am not a lawmaker," he said, recalling his electoral defeat. He decided to immerse himself in the world of business and became a corporate headhunter.
Until he returned to the lower house in 2012, Kihara spent most days talking with top business executives about the challenges they faced in developing products and expanding overseas. He devoted his mornings and nights as well as Saturdays and Sundays to political activities. Following Koga's advice, he made it a rule to stay until the end whenever he attended meetings. Through these efforts, he established a solid political foothold in a district in which he had no close ties.
↪︎ この時点で木原に問われていたのは、いかにして前進し続けるかということだった。「たとえ議員でなくても、何者かにならなければならないと思った」と、彼は選挙での敗北を思い出しながら言った。彼はビジネスの世界に身を投じることを決意し、企業のヘッドハンターになった。
2012年に衆議院議員に返り咲くまで、木原は一流企業の経営者たちと、商品開発や海外進出で直面する課題について話をする毎日だった。朝も夜も土日も政治活動に没頭した。古賀のアドバイスで、会合に出席するときは必ず最後まで残るようにした。こうした努力で、縁もゆかりもない選挙区に確かな足場を築いた。
Having alleviated some of his political weaknesses, Kihara returned to office and joined an LDP faction that would eventually work hardest to help Kishida become prime minister.
”
↪︎<木原の浪人時代:関連記事>
※Hunter 2022/1/13
兄はみずほFG社長|注目集める木原誠二官房副長官の人脈
https://news-hunter.org/?p=10462
(抜粋)
”▪️「令和の政商」大樹総研・矢島氏との関係
だが、木原氏にはしのげない過去もある。
二階俊博元幹事長や菅義偉前首相との関係で知られる「大樹総研」のトップ、
矢島義也氏が帝国ホテルで結婚式をあげた際の座席表。
その中に、<外務副大臣 衆議院議員 木原誠二様>と記されていた。
同じテーブルには、当時官房長官だった菅前首相、遠藤利明元選対委員長、
加藤勝信元官房長官、別のテーブルには二階氏(当時は総務会長)や野田佳彦元首相ら
の名前もあり、招待客の中でも最高ランクの位置づけだったことが分かる。
なぜ木原氏が招待されたのだろうか?
木原氏のホームページに掲載されたプロフィールには
『09年~12年、落選中の3年間、民間企業で営業マンとして経済の現場で働きながら、
地元政治活動を継続』とある。
確かに木原氏は、自民党が民主党に敗れ下野した2009年の総選挙で落選し、
バッジを失った。この間の木原氏について、大樹総研をよく知る関係者がこう話す。
「落選中、木原氏は大樹総研の特別研究員とかいう形で面倒を見てもらっていた。
おそらく2、3年はカネをもらっていたはず。
年間で、それなりの額の小遣いをもらっていたということだ。
矢島さんは木原氏に一目置いていて、将来役に立つと思っていたらしく、
度々銀座の飲食にも誘っていた」
木原氏にとっての経済の現場とは、
大樹総研の特別研究員のことだったのだろうか――。
矢島氏が、菅前首相や二階元幹事長らの威光をバックにして
政界フィクサーとして立ち回り、業績をアップさせてきたことは
本サイトでたびたび指摘してきた。
まさに「令和の政商」なのだが、黒い噂も絶えない。”

※不遇時代のハニートラップの可能性あり❓
(抜粋2)
”Last year, Kihara became the principal architect of Kishida's campaign platform for the LDP leadership election in September, masterminding key policy proposals such as a new organization to consider wage hikes for care workers. He came up with the "new capitalism" policy, meant to achieve a virtuous cycle of growth and distribution. He is also in charge of coordinating Kishida's policy initiatives with the ruling party, a pivotal role that could determine the fate of Kishida's prime ministership.
It was Kihara who last month persuaded Kishida to revamp a key stimulus measure -- 100,000 yen ($880) handouts to households for every child 18 and younger. Half of the payments were to come in the form of gift certificates. But when many local governments began calling for 100% cash grants, Kihara advised the prime minister to go along with the request. During a Diet session several days later, Kishida announced that the subsidies could be all cash if that is what local governments decide.
As soon as the omicron variant began its global journey, Kihara sent a short message to the prime minister, saying it was time for Kishida to deliver on his promise, made while running for the LDP's presidency, to always be prepared for the worst. Shortly afterward, Kishida decided to bar new entries of all foreign nationals, in principle.
"My responsibility," Kihara said, "is to see to it that Kishida's policy proposals during the LDP presidential race will be implemented by the government."
↪︎「私の責任は、自民党総裁選での岸田氏の政策提案が政府によって実行されるようにすることだ」と木原氏は語った。
”
最側近・木原つぶし
菅義家の陰謀
・木原の妻は重大犯罪の容疑をかけられていた。
・木原は自民党の有力議員。
・2017年当時、二階幹事長は「今のうちに離婚しておけ」とアドバイスしていた。
・当時2018年10月11月は第四次安倍内閣(2017年11月1日〜2018年10月2日)で、
幹事長は二階、官房長官は菅、官房副長官は内閣人事局長で公安警察官僚ドンの杉田和博がいた。
・安倍内閣の意思により、警察の捜査は決定的な物証はなく木原の妻の決定的な供述もなく
詰めきれないので闇に葬られ縮小された。
・文春砲のスクープは普通に取材して出てくるネタではなく、政治的な裏がある。
・出元は、菅である。
・菅は岸田と対立しており、来年秋の自民党総裁選に勝って長期政権をやりたい。
・9月に解散総選挙を打ちたい。できれば勝ちたい。
・負けたとしても、立憲の野田・泉グループを引き連れて50人位で連立政権をやれれば良い。
・菅は岸田とは合わない。
・菅の強みは情報量。
・菅は2018年当時、公安畠の杉田を右腕にもつ官房長官であり、木原の情報は全て知っている。
・連続的な木原ネタ文春砲を菅が仕掛けた。
・木原は、岸田官邸の官房副長官。官房副長官は3人。木原が政務+官僚2人である。
岸田政権の政治関係を取りまとめているのが、政務の官房副長官・木原である。
・岸田内閣の柱中の柱。木原が揺るげば岸田内閣が揺らぐ。
・木原は酒と女好き。銀座で遭遇した幻冬者の見城徹に名刺も渡さず怒らせるエピソードあり。
・銀座の高級店で10〜20人のホステスを侍らせ一晩で100万、200万とも思われる連日の豪遊。
これを可能にする金はどこから出てくるのか。
・木原の兄はみずほ銀行の頭取。(実兄はみずほフィナンシャルグループ社長の木原正裕)
木原の兄はみずほの前身の一つ日本工業銀行の出身。興銀といえば大蔵省の接待で有名。
・佐藤章氏:「そこの金が出てたんじゃないかという情報もある」し、
「別の所からドンドンもらっているという話もある。」
「そういうことをやっているということは、
はっきり言って黒い交際関係というのは容易に想像される」「黒い危ない関係がある」
これが木原のもう一つ弱いところ。
・菅はそういう情報はいっぱい持っている。つまり、文春はまだまだネタを持っている。
木原の黒い交際関係が出たら、木原はもたない。
副官房長官辞任に追い込まれる秒読み体制に入った。
・木原の問題は、岸田の一番弱い腹。
・菅に弱い腹をつかれた岸田の支持率はさらに下がり、
今年9月解散総選挙などできないということになる。
そうすると、岸田内閣は来年秋の総裁選まで辿り着けるかどうか分からない。
・菅内閣も、自ら蒔いた種子だが学術会議問題に始まり、総裁選に立候補すらできずに終わった。
その時に、岸田は「二階の首を切れ」と二階おろしをやった。
菅、二階はその恨みを忘れていない。
・岸田政権はズタボロになり、自民党内で岸田おろしが始まる。
ここで解散など打てるわけもなく、内部的に変わるしかなく、内閣総辞職。
そこで登場する人は1人、菅義偉である。それが菅のシナリオ。