米に安保法案を“確約”…河野統幕長は文民統制無視の確信犯
日刊ゲンダイ 公開日:2015/09/04 15:22
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/163406/3
(抜粋)
”「戦争法案」に突き進む安倍政権を陰で支える“振付師”は、この男だった。2日の参院安保特別委で、防衛省制服組トップの河野克俊統合幕僚長が、安保法案の成立を米軍幹部と“約束”していたことが発覚した問題。河野統幕長は3日の会見で「法案の成立時期は国会の判断」なんて釈明していたが、トボけるのもいい加減にしてほしい。
とにかく「更迭」必至の発言だろう。”
” 04年6月の朝日新聞は「検証アフガン・イラク戦争 自衛隊50年」と題した記事を掲載。「9・11テロ」を受け、各国に支援を求める米軍に対し、当時の自衛隊がどう向き合ったのかを詳述した内容だが、こんなくだりが出てくる。
〈先入観抜きで、やれることは全部リストアップしろ。法律にかすっても、何とか解釈で出来るものを挙げろ(略)海上幕僚監部の河野克俊防衛課長は首脳部との打ち合わせの後、部下にこう命じた〉
〈陸海空の3自衛隊の中で、海自は最も米軍との関係が深い。戦後に米海軍の支援を受けて生まれ、冷戦時代には米海軍と対ソ連戦を想定した共同訓練を重ねて育ってきた。「同盟を支えているのは自分たちだ」という強烈な自意識を持つ〉
記事によると、当時の河野防衛課長らは米軍の要請がないのに、勝手に「テロ攻撃及び米軍支援に関する海上自衛隊の対応策」を作成。国会議員に説明して回っていた。対応策には〈インド洋に向かう米空母機動部隊を、海自の護衛艦などが護衛する項目もある(略)歴代内閣が憲法違反としてきた集団的自衛権行使に踏み込みかねないような内容〉が含まれていたというから驚きだ。
法律違反でも解釈で集団的自衛権を行使し、米軍を支援する――。今の安倍政権がやっていることと同じだ。なるほど、安倍首相の「首相動静」を見ると、河野統幕長はトップ就任直後から首相官邸を頻繁に訪れ、これまでに計約30回、1カ月に2、3回のペースで安倍と会談している。安倍政権が突然、「背広組」と「制服組」の立場を対等化させた動きと無関係じゃないだろう。政治評論家の山口朝雄氏がこう言う。
「本来なら統幕長は『更迭』ですよ。しかし、安倍政権にとって自衛官は『話の分かる仲間』だから、何もしない。制服組もそれが分かっているから、こういう発言が出るのです」
戦前は陸軍の「統制派」と呼ばれた軍国主義者の暴走が戦争の引き金になったが、このままだととんでもない事態になる。”
河野統幕長 訪米 何様⁈💢
「安保法は来夏までに」と約束
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https://web.archive.org/web/20141227155447/https://www.mod.go.jp/js/Joint-Staff/js_topics.htm
河野統幕長 訪米(安保法審議中)
ウクライナを喰い物にする
バイデン副大統領と笑顔で面談
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https://web.archive.org/web/20151228110008/https://www.mod.go.jp/js/Joint-Staff/js_topics.htm
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https://web.archive.org/web/20151228110008/https://www.mod.go.jp/js/Joint-Staff/js_topics.htm
気脈を通じ「戦争法」へ
安倍晋三と河野克俊
河野克俊。自衛隊の最高位・第5代 統合幕僚長。
安倍政権が安全保障関連法案を閣議決定したのが2014年7月。
河野氏が統合幕僚長に就任したのが2014年10月である。
河野氏の統合幕僚長着任時のいかにも勇ましい訓示は次のとおりだ。
“「真に戦える自衛隊維持へ変革」 統合幕僚長に就任した河野克俊(かわの・かつとし)さん(59)
産経新聞 2014.10.17 07:57
https://web.archive.org/web/20190604074533/https://www.sankei.com/politics/news/141017/plt1410170010-n1.html
約22万人を数える制服組自衛官のトップ、第5代統合幕僚長に14日付で就任した。江渡聡徳防衛相を補佐しつつ、中国の海洋進出や大規模災害への対応、国際貢献など、多くの任務に対応していく重責を担う。
「諸官に要望したい。第一は『精強・即応』である。真の即応が求められる時代に入っていることを銘記してもらいたい。第二は『伝統の継承』である。良き伝統を諸官とともに築き上げていきたい」
15日の着任にあたっての訓示で、そう呼び掛け、表情を引き締めた。
昭和52年に海上自衛隊に入隊。現場勤務の多い生粋の船乗りとして歩み、第3護衛隊群司令時代にはインド洋派遣の指揮官も務めた。
平成20年のイージス艦衝突事故では、海幕防衛部長として自衛隊批判の矢面に立ち、苦しい時期を過ごしたことも。統幕副長、自衛艦隊司令官、海上幕僚長を歴任し、経験と力量を買われての起用となった。
「真に戦える自衛隊であり続けるため、既成概念にとらわれず、変革に取り組む」と強調する。防衛省では部隊運用を統幕に一元化する改革が控えており、陸海空3自衛隊を一体的に動かす「統合運用」の強化は大きな課題だ。「効果的、効率的な運用体制を確立し、よい結果を出したい」と意気込む。
温和な人柄と風貌から、ひそかに「ドラえもん」の愛称で信望を集める。旧帝国海軍、戦後は海上自衛隊に奉職した父の希望もあって自衛官を志した。今や「四つ星」階級章をまとう息子は「父はびっくり仰天していると思う」と笑った。(千葉倫之)”
安倍総理は、従来のシビリアンコントロールの鉄則を無視して「制服組」を重用した。
週一で、「制服組」の河野統合幕僚長をはじめ、外務省総合外交政策局長、防衛省防衛政策局長を官邸に集め、外交・安全保障に関する最新の動向をブリーフィングさせた。
”総理大臣の1日の動きをまとめた記事「総理動静」には、週に1回程度、外務省、防衛省、自衛隊の幹部の名前がそろって登場する。
外務省総合外交政策局長、防衛省防衛政策局長、そして自衛隊の統合幕僚長だ。
「ブリーフィング」と呼ばれる会合で、外交・安全保障に関する最新の動向を総理大臣に説明するものだ。
こうした仕組みができたのは、実は、第2次安倍政権からだという。
それまでは、いわゆる「制服組」と呼ばれる自衛官が、総理大臣に接する機会は限られていた。
「戦前の軍の二の舞を避けるため、自衛隊を極力、政治から遠ざけてきた。それがシビリアンコントロールだと」”
※2015年首相動静 河野克俊統幕長
https://pm-watcher.hatenadiary.org/search?q=2015年%E3%80%80河野克俊
黒川弘務検事長は、国民の猛反対を受け、おまけに麻雀賭博の常習が明るみに出て「定年延長」とはならなかったが、河野氏は安倍のお気に入りとして3度も「定年延長」した。
安倍氏と河野氏。
二人は、日本の戦争(犯罪)の中心部にいながら戦後も公職に復帰した親族を持ち強い影響を受けているという共通点もあり気脈を通じ合ったのかもしれない。
安倍氏の祖父・革新官僚の岸信介は、A級戦犯として逮捕収監されたが公職追放を解除されて政界復帰し、石橋湛山に総裁選で敗れるも石橋の病気退陣により自民党総裁となり日米安保改定を強行した。
河野氏の父・河野克次は、海軍将校で真珠湾攻撃を行った5隻の潜水艦の内の一隻の機関長で特攻兵器の特殊潜航艇を出動させたが、公職追放に遭わずにそのまま海上保安庁で勤務したあと海上自衛官となっている。
https://www.sankei.com/article/20190606-X7HHKU5GRJNV7NXCRGNOZISWTY/
イージス艦「あたご」衝突事件
さて、河野氏は、2008年2月に自衛艦側の過失によって発生した《イージス艦「あたご」の漁船「清徳丸」(2名死亡)への衝突事故》の責任を取る形で、海上幕僚監部防衛部長から掃海隊群司令に更迭されている。
https://web.archive.org/web/20110324110053/http://www.mod.go.jp/j/press/news/2008/03/21a.html
左遷された河野氏が得た教訓とは、防衛省が海上保安庁を差し置いて自ら原因解明をしようと動いたことが海上保安庁の心証を悪くするなど事故をめぐる対応が不味かった。また、マスコミへの情報発信のあり方などに問題があったとということであったという。
https://www.sankei.com/article/20190612-MDFJDFSHGVMMHAFELFWYE6ZUXM/
輸送艦「おおすみ」衝突事件
しかし、事故は再び起きた。
実は、その6年後、2014年1月ーー
メディアコントロールが働き、あまり広く知られることはなかったが、再び、同じような構図の海難事故が起きていた。
2014年1月15日《輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」(2名死亡)の衝突事故》が発生。
河野氏は、当時、海上幕僚長(2012年7月就任)に就いており、自分が司令塔となり、事故の当事者の海上自衛隊は海上保安庁の捜査に協力することに徹する、そして、情報発信を一本化すると命じた。
そして、「おおすみ」事件の事実は隠蔽され歪められた。
輸送艦「おおすみ」事件の検証を含む、自衛隊の実態の取材報告の書『絶望の自衛隊』がリリースされた。
約20年間継続的に自衛隊を取材してきたジャーナリスト・三宅勝久氏の自衛隊シリーズの新刊である。
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輸送艦「おおすみ」事件は、第二次安倍政権下、小野寺五典防衛相の下で発生している。
また捜査にあたる海上保安庁の長官は、安倍総理の意向による異例の人事で初の生え抜き長官・佐藤雄二氏(13年8月)だった。
※おおすみ事故、遺族敗訴 広島地裁「釣り船の右転が原因」中国新聞 2021/3/23
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/88052
※運輸安全員会 船舶事故調査報告書 2015年02月09日
https://www.mlit.go.jp/jtsb/ship/rep-acci/2015/MA2015-2-1_2014tk0001.pdf
「おおすみ」事件の真相封殺〜統合幕僚長に昇進
2008年2月に発生した「あたご」衝突事件では自衛艦側の過失として更迭されたが、
2014年1月に再び起きた「おおすみ」衝突事件も同じように自衛艦側の過失となれば、河野克俊統合幕僚長は誕生しなかった。
しかし、「おおすみ」事件の真相は情報操作によって真相は封殺された。
2014年10月14日、河野克俊 統合幕僚長に就任。
河野前統合幕僚長は、2014年末12月に訪米し、米軍幹部と会談する中で「(2015年の)夏までには安保法制は成立する」「集団的自衛権の行使が可能となれば日米ガイドラインを踏まえて日米関係は深化する」などと、戦争法の成立を予告していたことが、共産党が入手した自衛隊内部文書で発覚していた。
シビリアンコントロールが崩壊…
この歪んだ軍部は独走…を何といえば良いのか?
過去の軍部のクーデター未遂のような事件と地続きでありながら、頭に戴いているのは天皇ではなく米国だ。
河野氏は、2014年10月に統合幕僚長に就任し、法令(自衛隊法施行令)で定める定年年齢(62歳)を越えた後も3度の「定年延長」を経て当該地位に留まり、統幕長としての在任期間はおよそ5年、歴代最長。
2019年4月1日付で退官。
同年8月15日の時点で、日本テレビ客員解説委員に就任。
https://web.archive.org/web/20180528214706/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018052501280&g=soc
日刊ゲンダイ 公開日:2015/09/04 15:22
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/163406/3
(抜粋)
”「戦争法案」に突き進む安倍政権を陰で支える“振付師”は、この男だった。2日の参院安保特別委で、防衛省制服組トップの河野克俊統合幕僚長が、安保法案の成立を米軍幹部と“約束”していたことが発覚した問題。河野統幕長は3日の会見で「法案の成立時期は国会の判断」なんて釈明していたが、トボけるのもいい加減にしてほしい。
とにかく「更迭」必至の発言だろう。”
” 04年6月の朝日新聞は「検証アフガン・イラク戦争 自衛隊50年」と題した記事を掲載。「9・11テロ」を受け、各国に支援を求める米軍に対し、当時の自衛隊がどう向き合ったのかを詳述した内容だが、こんなくだりが出てくる。
〈先入観抜きで、やれることは全部リストアップしろ。法律にかすっても、何とか解釈で出来るものを挙げろ(略)海上幕僚監部の河野克俊防衛課長は首脳部との打ち合わせの後、部下にこう命じた〉
〈陸海空の3自衛隊の中で、海自は最も米軍との関係が深い。戦後に米海軍の支援を受けて生まれ、冷戦時代には米海軍と対ソ連戦を想定した共同訓練を重ねて育ってきた。「同盟を支えているのは自分たちだ」という強烈な自意識を持つ〉
記事によると、当時の河野防衛課長らは米軍の要請がないのに、勝手に「テロ攻撃及び米軍支援に関する海上自衛隊の対応策」を作成。国会議員に説明して回っていた。対応策には〈インド洋に向かう米空母機動部隊を、海自の護衛艦などが護衛する項目もある(略)歴代内閣が憲法違反としてきた集団的自衛権行使に踏み込みかねないような内容〉が含まれていたというから驚きだ。
法律違反でも解釈で集団的自衛権を行使し、米軍を支援する――。今の安倍政権がやっていることと同じだ。なるほど、安倍首相の「首相動静」を見ると、河野統幕長はトップ就任直後から首相官邸を頻繁に訪れ、これまでに計約30回、1カ月に2、3回のペースで安倍と会談している。安倍政権が突然、「背広組」と「制服組」の立場を対等化させた動きと無関係じゃないだろう。政治評論家の山口朝雄氏がこう言う。
「本来なら統幕長は『更迭』ですよ。しかし、安倍政権にとって自衛官は『話の分かる仲間』だから、何もしない。制服組もそれが分かっているから、こういう発言が出るのです」
戦前は陸軍の「統制派」と呼ばれた軍国主義者の暴走が戦争の引き金になったが、このままだととんでもない事態になる。”
河野統幕長 訪米 何様⁈💢
「安保法は来夏までに」と約束



https://web.archive.org/web/20141227155447/https://www.mod.go.jp/js/Joint-Staff/js_topics.htm
河野統幕長 訪米(安保法審議中)
ウクライナを喰い物にする
バイデン副大統領と笑顔で面談

https://web.archive.org/web/20151228110008/https://www.mod.go.jp/js/Joint-Staff/js_topics.htm

https://web.archive.org/web/20151228110008/https://www.mod.go.jp/js/Joint-Staff/js_topics.htm
気脈を通じ「戦争法」へ
安倍晋三と河野克俊
河野克俊。自衛隊の最高位・第5代 統合幕僚長。
安倍政権が安全保障関連法案を閣議決定したのが2014年7月。
河野氏が統合幕僚長に就任したのが2014年10月である。
河野氏の統合幕僚長着任時のいかにも勇ましい訓示は次のとおりだ。
“「真に戦える自衛隊維持へ変革」 統合幕僚長に就任した河野克俊(かわの・かつとし)さん(59)
産経新聞 2014.10.17 07:57
https://web.archive.org/web/20190604074533/https://www.sankei.com/politics/news/141017/plt1410170010-n1.html
約22万人を数える制服組自衛官のトップ、第5代統合幕僚長に14日付で就任した。江渡聡徳防衛相を補佐しつつ、中国の海洋進出や大規模災害への対応、国際貢献など、多くの任務に対応していく重責を担う。
「諸官に要望したい。第一は『精強・即応』である。真の即応が求められる時代に入っていることを銘記してもらいたい。第二は『伝統の継承』である。良き伝統を諸官とともに築き上げていきたい」
15日の着任にあたっての訓示で、そう呼び掛け、表情を引き締めた。
昭和52年に海上自衛隊に入隊。現場勤務の多い生粋の船乗りとして歩み、第3護衛隊群司令時代にはインド洋派遣の指揮官も務めた。
平成20年のイージス艦衝突事故では、海幕防衛部長として自衛隊批判の矢面に立ち、苦しい時期を過ごしたことも。統幕副長、自衛艦隊司令官、海上幕僚長を歴任し、経験と力量を買われての起用となった。
「真に戦える自衛隊であり続けるため、既成概念にとらわれず、変革に取り組む」と強調する。防衛省では部隊運用を統幕に一元化する改革が控えており、陸海空3自衛隊を一体的に動かす「統合運用」の強化は大きな課題だ。「効果的、効率的な運用体制を確立し、よい結果を出したい」と意気込む。
温和な人柄と風貌から、ひそかに「ドラえもん」の愛称で信望を集める。旧帝国海軍、戦後は海上自衛隊に奉職した父の希望もあって自衛官を志した。今や「四つ星」階級章をまとう息子は「父はびっくり仰天していると思う」と笑った。(千葉倫之)”
安倍総理は、従来のシビリアンコントロールの鉄則を無視して「制服組」を重用した。
週一で、「制服組」の河野統合幕僚長をはじめ、外務省総合外交政策局長、防衛省防衛政策局長を官邸に集め、外交・安全保障に関する最新の動向をブリーフィングさせた。
”総理大臣の1日の動きをまとめた記事「総理動静」には、週に1回程度、外務省、防衛省、自衛隊の幹部の名前がそろって登場する。
外務省総合外交政策局長、防衛省防衛政策局長、そして自衛隊の統合幕僚長だ。
「ブリーフィング」と呼ばれる会合で、外交・安全保障に関する最新の動向を総理大臣に説明するものだ。
こうした仕組みができたのは、実は、第2次安倍政権からだという。
それまでは、いわゆる「制服組」と呼ばれる自衛官が、総理大臣に接する機会は限られていた。
「戦前の軍の二の舞を避けるため、自衛隊を極力、政治から遠ざけてきた。それがシビリアンコントロールだと」”
※2015年首相動静 河野克俊統幕長
https://pm-watcher.hatenadiary.org/search?q=2015年%E3%80%80河野克俊
黒川弘務検事長は、国民の猛反対を受け、おまけに麻雀賭博の常習が明るみに出て「定年延長」とはならなかったが、河野氏は安倍のお気に入りとして3度も「定年延長」した。
安倍氏と河野氏。
二人は、日本の戦争(犯罪)の中心部にいながら戦後も公職に復帰した親族を持ち強い影響を受けているという共通点もあり気脈を通じ合ったのかもしれない。
安倍氏の祖父・革新官僚の岸信介は、A級戦犯として逮捕収監されたが公職追放を解除されて政界復帰し、石橋湛山に総裁選で敗れるも石橋の病気退陣により自民党総裁となり日米安保改定を強行した。
河野氏の父・河野克次は、海軍将校で真珠湾攻撃を行った5隻の潜水艦の内の一隻の機関長で特攻兵器の特殊潜航艇を出動させたが、公職追放に遭わずにそのまま海上保安庁で勤務したあと海上自衛官となっている。
https://www.sankei.com/article/20190606-X7HHKU5GRJNV7NXCRGNOZISWTY/
イージス艦「あたご」衝突事件
さて、河野氏は、2008年2月に自衛艦側の過失によって発生した《イージス艦「あたご」の漁船「清徳丸」(2名死亡)への衝突事故》の責任を取る形で、海上幕僚監部防衛部長から掃海隊群司令に更迭されている。
https://web.archive.org/web/20110324110053/http://www.mod.go.jp/j/press/news/2008/03/21a.html
左遷された河野氏が得た教訓とは、防衛省が海上保安庁を差し置いて自ら原因解明をしようと動いたことが海上保安庁の心証を悪くするなど事故をめぐる対応が不味かった。また、マスコミへの情報発信のあり方などに問題があったとということであったという。
https://www.sankei.com/article/20190612-MDFJDFSHGVMMHAFELFWYE6ZUXM/
輸送艦「おおすみ」衝突事件
しかし、事故は再び起きた。
実は、その6年後、2014年1月ーー
メディアコントロールが働き、あまり広く知られることはなかったが、再び、同じような構図の海難事故が起きていた。
2014年1月15日《輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」(2名死亡)の衝突事故》が発生。
河野氏は、当時、海上幕僚長(2012年7月就任)に就いており、自分が司令塔となり、事故の当事者の海上自衛隊は海上保安庁の捜査に協力することに徹する、そして、情報発信を一本化すると命じた。
そして、「おおすみ」事件の事実は隠蔽され歪められた。
輸送艦「おおすみ」事件の検証を含む、自衛隊の実態の取材報告の書『絶望の自衛隊』がリリースされた。
約20年間継続的に自衛隊を取材してきたジャーナリスト・三宅勝久氏の自衛隊シリーズの新刊である。

輸送艦「おおすみ」事件は、第二次安倍政権下、小野寺五典防衛相の下で発生している。
また捜査にあたる海上保安庁の長官は、安倍総理の意向による異例の人事で初の生え抜き長官・佐藤雄二氏(13年8月)だった。
※おおすみ事故、遺族敗訴 広島地裁「釣り船の右転が原因」中国新聞 2021/3/23
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/88052
※運輸安全員会 船舶事故調査報告書 2015年02月09日
https://www.mlit.go.jp/jtsb/ship/rep-acci/2015/MA2015-2-1_2014tk0001.pdf
「おおすみ」事件の真相封殺〜統合幕僚長に昇進
2008年2月に発生した「あたご」衝突事件では自衛艦側の過失として更迭されたが、
2014年1月に再び起きた「おおすみ」衝突事件も同じように自衛艦側の過失となれば、河野克俊統合幕僚長は誕生しなかった。
しかし、「おおすみ」事件の真相は情報操作によって真相は封殺された。
2014年10月14日、河野克俊 統合幕僚長に就任。
河野前統合幕僚長は、2014年末12月に訪米し、米軍幹部と会談する中で「(2015年の)夏までには安保法制は成立する」「集団的自衛権の行使が可能となれば日米ガイドラインを踏まえて日米関係は深化する」などと、戦争法の成立を予告していたことが、共産党が入手した自衛隊内部文書で発覚していた。
シビリアンコントロールが崩壊…
この歪んだ軍部は独走…を何といえば良いのか?
過去の軍部のクーデター未遂のような事件と地続きでありながら、頭に戴いているのは天皇ではなく米国だ。
河野氏は、2014年10月に統合幕僚長に就任し、法令(自衛隊法施行令)で定める定年年齢(62歳)を越えた後も3度の「定年延長」を経て当該地位に留まり、統幕長としての在任期間はおよそ5年、歴代最長。
2019年4月1日付で退官。
同年8月15日の時点で、日本テレビ客員解説委員に就任。
https://web.archive.org/web/20180528214706/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018052501280&g=soc