「この戦争の真の悲劇は、不条理で馬鹿げたものだ。
簡単に避けることができた。
ロシアは、ウクライナのNATO加盟は不可で、
ドンバスの自立とロシア語話者の権利を要求した。
ウクライナがそれを認めていれば、この戦争は起きなかった」
エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』2022年6月
《関連記事》
【ゼレンスキーの故郷】灰色の鉱山の町〜少年ストリートギャング「強盗団」がバトルする
2022年03月22日(火)
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12733150760.html
ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか?ロシアの真意とは⁉︎
東郷和彦(静岡県立大学グローバル地域センター客員教授)×鳩山友紀夫 2022/09/05
ロシアの要望は至極当たり前のことで、無茶なことは言っていない。
ロシアに国境を接するウクライナはNATOに入らず中立であってほしい。
ウクライナのロシア系ウクライナ人の人権を守ってちゃんと保護してほしい。
主にこの2点だった。
ウクライナでは、元々は約5分の4の人がロシア語しか話さないロシア語話者であった。
つまりウクライナは大半の人がロシア語しか使っていなかったのである。
特異なのはガリツィア地方で、ここだけはウクライナ語を使っていた。
ウクライナの悲劇。
第二次世界大戦時、ガリツィア地方(ポーランドとウクライナを跨ぐウクライナ南西部地方)にヒトラーが攻め込んできた。
元々、ガリツィアはポーランドの支配下にあった。愛国者のステファン・バンデラがポーランドの要人を暗殺して投獄されていたが、そこへ入り込んできたナチに、バンデラは「真のウクライナの独立を実現したい」と訴えた。ナチと協力して、バンデラが中心になって赤軍と戦った。ソ連軍は勝利し、ガリツィアは戦後初めてソ連に併合された。
バンデラのグループ(バンデリスト=ネオナチ/対ナチ協力者)はカナダに亡命した。
オレンジ革命の背後にアメリカ
1991年、ソ連の崩壊に伴いウクライナが独立。
カナダにいたガリツィア系ウクライナ人がガリツィアに多数戻ってくる。彼らは強烈な愛国主義、徹底した反露主義。赤軍への憎しみと、ヨーロッパに最も近いガリツィア先導主義。
2004年11月の正当な大統領選挙の結果を革命でひっくり返して、初めての親ヨーロッパのウクライナ大統領となったのが、*ユシチェンコ(2005〜10)である。
※背景詳細→https://ameblo.jp/et-eo/entry-12729224268.html
ユシチェンコの背後にはアメリカ(ジョージ・ソロスなど)がいた。妻カテリーナ・ユシチェンコは元米国国務省職員。(米国投資家ジョージ・ソロスなどのユシチェンコ陣営に対する米国からの介入があった)
2004年11月の大統領選挙は親露のヤヌコーヴィッチが勝利する。
しかし、キエフ広場でデモが発生。
ユシチェンコはオレンジ革命をリードする。
ユシチェンコは支持者が政府の建物の占拠するなどの暴動を止めなかった。
NATO事務総長のハビエル・ソラナなどがキエフに交渉に来るもオレンジカラー抗議運動は続いた。
結局、「選挙結果は無効」とされた。
ユシチェンコ謎の毒薬中毒事件。
マイダン革命はバイデンが主導
2004年大統領選で勝利した親露ヤヌコーヴィッチを、新米のユシチェンコがオレンジ革命でひっくり返した。
しかし、元々、ウクライナは大半がロシア語話者であり、親露派の大多数の人々である。
2010年の大統領選挙でヤヌコービッチが勝利する。
そして、2014年、このヤヌコービッチを転覆させるためにマイダン革命(ウクライナ紛争へ)が起こった。
マイダン革命は米国のヌーランドなどが画策し支援していた。
(US Assistant Secretary of State Victoria Nuland and US Ambassador to Ukraine Geoffrey Pyatt https://www.youtube.com/watch?v=L2XNN0Yt6D8&t=17s)
ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、ロシアへ亡命。
ヤヌコービッチは正当な手続きで選ばれた大統領であり、それがふたたび排除されたので、ヤヌコービッチを支持していた市民は怒った。これをプーチンは支持した。
マイダン革命は、革命というほど大した集まりでなかったものを、大きくしたのはアメリカの力である。
マイダン革命を主導したのは、当時のバイデン副大統領である。
バイデンとウクライナ戦争
マイダン革命には、オバマ政権の副大統領・バイデンが大きな役割を果たした。
バイデンの自伝『Joe Biden』に副大統領としてウクライナに深く深く関わっていたことを克明に記している。
(バイデンの息子の様々な疑惑のある*ハンター・バイデンのことは一切、書かれていない)
プーチンは絶対悪、アメリカの正義は絶対的な善。アメリカの体現する価値観外交によって世界を抑えることが最善というネオコンの思想。
民主党はリベラル的、ネオコン思想というのはディック・チェイニーのような共和党のものだと思われていたが、そうではなかった。党派に関係ない。
そしてバイデンを軸として時代が大きく展開していった。
このような思想のバイデンが大統領になってしまった。
バイデンが大統領になったときに、プーチンは絶対悪、カナダから戻ってきたガリツィア系のウクライナ人民主的なウクライナ人が絶対的な善、という価値観のウクライナ戦争を仕切り始めた。
もしも、全く違った発想のリアリストの大統領がアメリカにいたら、ウクライナ戦争は起きなかった。
簡単に避けることができた。
ロシアは、ウクライナのNATO加盟は不可で、
ドンバスの自立とロシア語話者の権利を要求した。
ウクライナがそれを認めていれば、この戦争は起きなかった」
エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』2022年6月
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【ゼレンスキーの故郷】灰色の鉱山の町〜少年ストリートギャング「強盗団」がバトルする
2022年03月22日(火)
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12733150760.html
ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか?ロシアの真意とは⁉︎
東郷和彦(静岡県立大学グローバル地域センター客員教授)×鳩山友紀夫 2022/09/05
ロシアの要望は至極当たり前のことで、無茶なことは言っていない。
ロシアに国境を接するウクライナはNATOに入らず中立であってほしい。
ウクライナのロシア系ウクライナ人の人権を守ってちゃんと保護してほしい。
主にこの2点だった。
ウクライナでは、元々は約5分の4の人がロシア語しか話さないロシア語話者であった。
つまりウクライナは大半の人がロシア語しか使っていなかったのである。
特異なのはガリツィア地方で、ここだけはウクライナ語を使っていた。
ウクライナの悲劇。
第二次世界大戦時、ガリツィア地方(ポーランドとウクライナを跨ぐウクライナ南西部地方)にヒトラーが攻め込んできた。
元々、ガリツィアはポーランドの支配下にあった。愛国者のステファン・バンデラがポーランドの要人を暗殺して投獄されていたが、そこへ入り込んできたナチに、バンデラは「真のウクライナの独立を実現したい」と訴えた。ナチと協力して、バンデラが中心になって赤軍と戦った。ソ連軍は勝利し、ガリツィアは戦後初めてソ連に併合された。
バンデラのグループ(バンデリスト=ネオナチ/対ナチ協力者)はカナダに亡命した。
オレンジ革命の背後にアメリカ
1991年、ソ連の崩壊に伴いウクライナが独立。
カナダにいたガリツィア系ウクライナ人がガリツィアに多数戻ってくる。彼らは強烈な愛国主義、徹底した反露主義。赤軍への憎しみと、ヨーロッパに最も近いガリツィア先導主義。
2004年11月の正当な大統領選挙の結果を革命でひっくり返して、初めての親ヨーロッパのウクライナ大統領となったのが、*ユシチェンコ(2005〜10)である。
※背景詳細→https://ameblo.jp/et-eo/entry-12729224268.html
ユシチェンコの背後にはアメリカ(ジョージ・ソロスなど)がいた。妻カテリーナ・ユシチェンコは元米国国務省職員。(米国投資家ジョージ・ソロスなどのユシチェンコ陣営に対する米国からの介入があった)
2004年11月の大統領選挙は親露のヤヌコーヴィッチが勝利する。
しかし、キエフ広場でデモが発生。
ユシチェンコはオレンジ革命をリードする。
ユシチェンコは支持者が政府の建物の占拠するなどの暴動を止めなかった。
NATO事務総長のハビエル・ソラナなどがキエフに交渉に来るもオレンジカラー抗議運動は続いた。
結局、「選挙結果は無効」とされた。
ユシチェンコ謎の毒薬中毒事件。
マイダン革命はバイデンが主導
2004年大統領選で勝利した親露ヤヌコーヴィッチを、新米のユシチェンコがオレンジ革命でひっくり返した。
しかし、元々、ウクライナは大半がロシア語話者であり、親露派の大多数の人々である。
2010年の大統領選挙でヤヌコービッチが勝利する。
そして、2014年、このヤヌコービッチを転覆させるためにマイダン革命(ウクライナ紛争へ)が起こった。
マイダン革命は米国のヌーランドなどが画策し支援していた。
(US Assistant Secretary of State Victoria Nuland and US Ambassador to Ukraine Geoffrey Pyatt https://www.youtube.com/watch?v=L2XNN0Yt6D8&t=17s)
ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、ロシアへ亡命。
ヤヌコービッチは正当な手続きで選ばれた大統領であり、それがふたたび排除されたので、ヤヌコービッチを支持していた市民は怒った。これをプーチンは支持した。
マイダン革命は、革命というほど大した集まりでなかったものを、大きくしたのはアメリカの力である。
マイダン革命を主導したのは、当時のバイデン副大統領である。
バイデンとウクライナ戦争
マイダン革命には、オバマ政権の副大統領・バイデンが大きな役割を果たした。
バイデンの自伝『Joe Biden』に副大統領としてウクライナに深く深く関わっていたことを克明に記している。
(バイデンの息子の様々な疑惑のある*ハンター・バイデンのことは一切、書かれていない)
プーチンは絶対悪、アメリカの正義は絶対的な善。アメリカの体現する価値観外交によって世界を抑えることが最善というネオコンの思想。
民主党はリベラル的、ネオコン思想というのはディック・チェイニーのような共和党のものだと思われていたが、そうではなかった。党派に関係ない。
そしてバイデンを軸として時代が大きく展開していった。
このような思想のバイデンが大統領になってしまった。
バイデンが大統領になったときに、プーチンは絶対悪、カナダから戻ってきたガリツィア系のウクライナ人民主的なウクライナ人が絶対的な善、という価値観のウクライナ戦争を仕切り始めた。
もしも、全く違った発想のリアリストの大統領がアメリカにいたら、ウクライナ戦争は起きなかった。