阿部教授の詳細な解説を聞くと、
よく解りますが…
経緯をみれば、
安倍や河野の言うように、
「韓国が国際法を守らない」
「日韓請求権協定でもう請求権はなくなった」というのは、
噴飯ものなのです。
はじめに、
賠償をしてもらいたいと望む原爆の被害にあった日本国民は、
国が「サンフランシスコ条約で請求権を放棄」していても、
「個人請求権は残っている」と言ったのは、
日本なのですよね。
従って、「日韓請求権協定」によっても、
「個人請求権は残っている」としたのは、
日本政府であり、日本の裁判所なんですよね。
安倍や河野の主張を通すとするなら、
日本の方が、ずっと国際条約を破っていたことになるわけです。
いや、当時の日本政府、裁判所の見解の方が、
真っ当だったのだと思いますよ。
国家と国家の問題よりも、
どこの国の人であろうとも、
ひどい被害を受けた人が、
なんの謝罪も賠償もなされていないままでは、
あんまりではないかということ。
先の戦争では、
日本政府によって、
天皇によって、
日本国民も酷い目に合いました。
沖縄戦で日本兵に殺された民間人は?
赤紙一枚で、徴兵され、
虐待、リンチが横行する軍隊に放り込まれ、
飢えて死んだ日本兵の霊は、
天皇に個人請求権を行使したいと思わないのでしょうか?
ーーーー
徴用工問題と国際法 阿部浩己・明治学院大学教授 2019.9.5
司会 五味洋治さん 東京新聞
2018年 韓国大本院(最高裁判所)において
損害賠償を命じる3つの徴用工判決が下された。
①新日鉄住金 1件
②三菱重工業 2件
これは、一度 大本院にきて差し戻され、
再び上がってきた、再上告審判決である。
下級審においては原告が負けていたが、
2012年、最上級審である大本院が、もう一度やり直せ
という判決を出した。
そして、やり直しをした裁判が再び大本院にきたのだ。
2018年、その大本院の判決が下された。
《判決文の内容》
〜『損害賠償請求権』は、
『請求権協定』の適応対象に含まれるとはいえない。
日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民支配、
および侵略戦争の遂行と直結した、
日本企業の反人道的な不法行為を前提とする
強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権の訴えである。
これを上告審として認容する。
『請求権協定(1965年日韓国交正常化の際に締結)』は、
日本の不法な国民支配に対する
賠償請求をするための協定ではなくて、
両国間の財政的、民事的な債権債務関係を
政治的合意によって解決するためのものであったと考える。〜
日本の外務大臣は、この判決について談話を発表。
〜日韓関係の基礎は、『請求権協定』によって、
請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されており、
いかなる主張もすることができない。
にも関わらず、
2018年 一連の韓国大本院判決が日本企業に対して
損害賠償の支払い等を命じる判決を確定させた。
これらの判決は、日韓請求権協定第2条に明らかに反している。
その事によって、日韓関係の雲行きが怪しくなっていく。〜
1965年の「日韓請求権協定」…
これが今回の問題の大元になっている。
1965年の「日韓請求権協定」とは?
1965年は、日韓が国交を正常化した年で、
日韓の間で「基本条約」が結ばれ、
それと並んでいくつかの協定も結ばれた。
その一つが、「日韓請求権協定」である。
1951年に、日本が第二次世界大戦を終結させる
サンフランシスコ平和条約を結んだ。
その時に、戦争中の請求問題をどうするのか
という事について規定した条項が、
その条約に盛り込まれた訳だが、
ところが、そのサンフランシスコ平和条約に
韓国は参加していなかった。
サンフランシスコ平和条約の第4条では、
日本が植民地支配をしていた国、
韓国、台湾などとは、財産に関する問題は、
別にとりきめるように規定されていた。
つまり、財産請求権は別の取り決めをとるということが、
サンフランシスコ平和条約4条に記されていたのだ。
これに基づいて結ばれたのが1965年の日韓請求権協定なのである。
日韓請求権協定の内容は、
財産の処理 請求権を対象にする。
「日韓請求権協定」
前文には、財産請求権問題の解決と、両国間の経済協力、
これがこの協定の目的であるということが記されている。
第1条で経済協力の規定がある。
3億ドル相当の日本の生産物、日本人の役務の無償供与を約束する。
2億ドル分の海外経済協力基金を通じた長期の低利の貸付けを約束する。
大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならないと記されている。
第2条では日韓両国 両国民の財産、権利、および利益、そして請求権問題は、
これによって、完全かつ最終的に解決されたということを確認すると
記されている。
日韓請求権協定の2条には、
完全かつ最終的に解決されたものの中身というのは、詳しく書かれていない。
具体的中身については、1965年 「日韓合意議事録」が作成され、
署名されている。
「日韓合意議事録」には、
財産、権利、利益に関わる重要な一節が記されている。
日韓会談において、韓国側から提出された韓国の対日請求要綱、
いわゆる8項目の範囲に属する全ての請求が、
その財産、権利、および利益、請求権というものの中に含まれており、
従って、対日請求要綱に関しては
いかなる支障もなし得ないことになることも確認された、とある。
《財産、権利、および利益、請求権》の中身は
「日韓請求権協定」には書かれていないが、
「日韓合意議事録」に少し具体化した内容が書かれている。
では、「日韓合意議事録」に記された、
韓国の「対日請求要綱」8項目とは何か?
①〜⑧まであるが、今回の徴用工問題に関わるのは、
特に⑤である。
⑤日本に対する国債、日本銀行権、
日本徴用韓国人未収金、その他の請求権の弁済、
これについてはいかなる主張ももなし得ないことにする。
この日韓請求権協定を受けて、
日本は同年12月、「大韓民国等の財産権に関する措置法」を制定。
《財産、権利、および利益》…これを
「法律上の根拠に基づいた存在する実体的な財産」と定義した。
つまり、
「1965年時点で はっきり分かっていた財産に関する債権債務」が、
《財産、権利、および利益》…ということ。
それを消滅させるということが、この法律において明記されている。
《請求権》というのは、
1965年の時点では分かっていなかったが、
あとで損害などはっきりして、それに基づいて裁判に訴える、
そして、損害賠償を請求する、というもの。
《財産、権利、および利益》は、
1965年の日韓請求権協定の時点ではっきりと分かっていた債権債務。
《請求権》は、
1965年の日韓請求権協定の時点でまだはっきりしていない損害など。
1965年の「大韓民国等の財産権に関する措置法」は、
請求権に関しては、消滅させなかった。
日本では、このように措置された。
1965年の日韓協定というのは、
1951年から15年間にわたり、何度も中断を重ね、
最終的に第7次会談までもつれ込んで締結されたもの。
その過程で多くの日韓間の不一致が明るみに出てきた。
多くの不一致を「隠蔽」「誤魔化す形」で、
条約、あるいは協定が締結されてきたというのは、
すでに当時から解っていた。
「日韓請求権協定」締結で、
日韓において
《一致していなかった重要なところ 不一致》
《一致していたところ》を確認すると…
《不一致》日韓の見解が違っていたところは、2点ある。
⑴「日韓請求権協定」の1条と2条がどういう関係にあるのか、という点。
1条 3億ドルの無償供与、2億ドルの有償の貸し付け。
これは何の為のお金の支払いなのか?ということが問題になるが、
日本は一貫して、「1条と2条は関係がない」と言ってきた。
つまり、日本は、
1条は経済協力の為の金の支払いで、
2条はそれとは無関係の規定だ、
財産、権利、および利益、請求権を巡って保証しなければならないから
3億ドル、2億ドルの金を出すわけではない、
それは経済協力であり独立の祝賀金である、という考え。
なぜ、その金が、財産、権利、および利益、請求権の
保証であってはならなかったのかというと、
朝鮮半島に残してきた日本人の財産の保証がどうなるのか、
という問題が同時に出てきてしまう。
1条の金が保証の為だという事になると、
朝鮮半島に残してきた日本人の財産の保証は一体どうなるのか?
という問題が生じるからである。
こういう国内事情から1条と2条を日本は切り離したのである。
韓国側は、1条と2条は関係がある、という見解。
韓国は国内に向けて賠償をしてもらう必要があると言ってきたので、
2条の財産、権利、および利益、請求権の問題を解決していくための
金の支払いだ、としてきた。
⑵ 朝鮮半島の支配が合法だったのか不法だったのか?
という点についても日韓で一致していない。
「日韓基本条約」の《もはや無効》という言葉を巡ってである。
元々 無効だったのか? 後になって無効になったのか?について、
両方に解釈できるような文言が盛り込まれている。
これが禍根を残した。
次に、日韓が一致している点は…?
1965年「日韓請求権協定」というのは、
朝鮮半島が日本の領域だという国際法的な認識だったが、
韓国が領土の分離独立をすることになることに伴い生じる
財産、権利、および利益 請求権問題を解決するものであって、
日本が長期間にわたって朝鮮半島を支配していた
植民地時代の問題を解決する為のものではない。〜
この点では、日韓は一致していた。
「日韓請求権協定」は、
日韓の不一致を抱え込んでスタートしたのである。
ーー
日韓請求権協定の2条の請求権の問題の
「個人請求権」は
河野外務大臣や安倍首相の言うように「なくなっていた」のか?
日本政府、日本の裁判所の
「個人請求権」に関する見解はどうだったのか?
「日韓請求権協定」は、
元々「サンフランシスコ平和条約」の4条との関わりでできたもの。
「サンフランシスコ平和条約」自体においても、
戦後の賠償問題をどうするのかという問題の
日本と連合国との間で取り決めている。
日本は「請求権を放棄する」と記されている。
「日韓請求権協定」の個人請求権というのは、
「サンフランシスコ平和条約」の個人請求権の問題が
どう処理されたのかに密接に関わっている。
「サンフランシスコ平和条約」において、
日本および日本国民は、連合国に請求権を放棄した。
その後、最初に、
賠償請求を起こしたのは、日本人だった。
1950年代以降、日本では、
連合国に財産を押収された日本人、アメリカの原爆の被害者、
シベリアに抑留された人達などが、
損害の賠償をしてもらいたいと考えて、
本来は加害行為を働いた国に対して訴えたいが、
サンフランシスコ平和条約で請求権を放棄しているので
訴えることができない。
それは日本の国がしたことなので、
日本の国に保証をしてもらいたいと訴え出ることになった。
その際、日本政府は、「個人の請求権は無くなっていない」と主張した。
〜放棄したのは、日本国の権利、
つまり、日本は国が受けた被害、国民が受けた被害をの賠償を
代わって国が請求する権利を放棄したのであって、
被害を受けた個人が直接訴える権利は、
サンフランシスコ平和条約でも放棄していない。
だから、アメリカやソ連を直接訴えることはできる。
その権利を残してあるので日本国は保証する必要はない。〜
こういうロジックで裁判を行なった。
「国の請求権は放棄したが、個人請求権は放棄していない」というのが、
日本政府の見解だったのである。
1990年代になると、
今度は、日本によって被害を受けたアジアの人達が
訴えを起こしてくるようになった。
それまで日本は、裁判や国会などで
「個人請求権は残っている」と明言してきたので、
1991年 外務省条約局長が、日韓請求権協定においても、
「個人の請求権そのものを消滅させたのではない。」
国会答弁で明言をした。
つまり、日本政府は一貫して、
サンフランシスコ平和条約や日韓請求権協定では
「国家の権利(外交保護権)はなくなったが、
個人の請求権は残っている。」と言ってきた。
ところが、
2000年代になって日本政府は主張を変更した。
日本政府は、「同じだ」と言っているが、
阿部教授は「私のような者には、どこが同じなのか解らない。」と言う。
「請求に応ずべき法律上の義務が消滅した。
その結果、裁判が拒否されることになる。」
「それが個人請求権の処理の仕方なのだ」と主張するようになった。
主張の変更の背景には、
日本の国内の裁判において、
「原告の主張が通るようになってきた」という事情がある。
アメリカにおいて、
日本企業、あるいは、日本国が裁判を起こされるという状況が生じていた。
そういう背景事情があったのかもしれない。
いずれにせよ、2000年代から、
「実はサンフランシスコ平和条約によって、
請求に応ずべき法律上の義務がもうなくなった。
その結果、救済が拒否されることになっていたのだ」と
日本政府は、主張を変えるようになった。
2007年、「では、個人請求権はいったいどうなるのか?」について、
最高裁が重要な見解を示した。
新しい言葉使いが出てくる。
「法律上、訴求する権限が消滅したのだ」
つまり、「個人請求権は残っているけれども、
裁判に訴えることができなくなった。」
「それが、個人の請求権が放棄されたという言葉の意味である。」
と言っている。
日本政府の見解は、
1990年代には、「個人請求権は残っている。」
「国家の権利だけが消滅したのだ」と一貫していた。
⬇︎
2000年代には、
「個人請求権は残っているが、
訴えに応じる義務はなくなっていた。」と変わった。
⬇︎
2007年には、
日本の裁判所は、
「個人請求権は残っている
裁判に訴える権利はなくなった。」
裁判所は、重要なことを言っている。
「裁判に訴えることはできなくなったけれども、
請求権はなくなっているわけではない」
つまり、2007年の最高裁判決は、
「裁判所で解決することは、
サンフランシスコ平和条約などで、できなくなったけれども、
権利はある。実際に大変な被害を受けているので、
裁判の外で解決する道は残っている」という示唆を残していたのである。
個人の権利の訴えは、裁判外では排除されていないということだ。
一番 新しい 日本政府の見解は、
2018年11月、国会で示されている。
2007年の最高裁の判決を踏まえ、
「請求権は残っており、消滅していないけれども、
裁判では救済されない。」と見解を整理している。
徴用工の裁判は、日本でも沢山行われてきた。
端的に言って…
日本政府は、国内の徴用工裁判において、
日韓請求権協定などによって、
この問題が解決されるとは主張してこなかった。
国、あるいは、国と企業が訴えられる裁判例3つ。
カーモンド遺族会訴訟
キムソンイル裁判
日本製鐵韓国人元徴用工裁判
いずれも最高裁まで行って棄却される。
企業が徴用工を使役したが、国の政策としてそれを行った。
国にも責任があるとして訴えられた。
その時、日本政府は、
「日韓請求権協定によって徴用工問題は解決しているんだ」
という主張は行なっていないのである。
訴えが退けられた理由は、
「日韓請求権協定によって解決されているから訴えを退ける」というのではなく、
もっぱら国内の法律の論理だった。
《棄却された理由》
・戦前はそもそも国家は悪事をなさない、という考え方に基づいて
国の損害賠償を成立させる法律は存在していなかった。
つまり、国家の責任を問うことはできないという法理だった。
したがって、戦前の国の責任を問うことはできない。(国家無答責)
・企業については、たしかにその企業はそういう行為をしたが、
その企業は解散してしまい、全く別の法人になったので、
責任は追求できない。
他、企業だけを訴えられた場合も、
「日韓請求権協定によって解決されているから」ではなく、
「もう時効だから」という理由のものだったが、
ただし、企業だけを訴えられた場合、20世紀の間は、
ほとんど企業は和解(和解金を支払うなどして)をしてきた。
ーーー
2018年の韓国大本院 判決
新日鉄、住金、三菱重工に関わる3つの判決は、
いきなり韓国で訴えを起こされたわけではなく、
まず日本の中で訴えを起こされた。
日本の中で訴えを棄却され、納得できないということで、
改めて観光で訴えを起こしたのである。
「日本製鐵大阪製鉄所元徴用工損害賠償請求訴訟」
これが、日本製鐵、住金の徴用工裁判だったが、
大阪裁判所は、2001年3月 判決を下した。
「一部賃金の支払いを受けたものの、具体的な賃金額も知らされないまま、
残額は強制的に貯金させられ、常時監視下におかれ、労務から離脱出来ず、
食事も十分に与えられず、劣悪な労務環境の元、過酷極まりない作業に
自由を奪われた状態で相当期間従事させられた。」
「右は実質的な強制労働に該当し、違法と言わざるを得ない。」
「日本製鐵には、賃金未払い、強制労働、それぞれに関して、
債務不履行、違法労働に基づく損害賠償責任が認められる」
…とまで言っている。
しかし、訴えは棄却された。
なぜなら、日本製鐵が、企業としては解散してしまったからである。
そこで、新しく4つの会社に債務が承継されれば良かったが、
そうはならなかった。
三菱重工への訴えに関しても、棄却されたが、
これも時効の問題だった。
2005年の広島高等裁判所の判決では、
日本政府は「訴えに応じる義務がなくなった。」と
21世紀になって展開するようになった主張をここで始めて提出したが、
裁判所はこの主張を採用していない。
要するに、重要なことは、
日本政府は「日韓請求権協定で解決している」ことを理由に
棄却していないこと。
裁判所は、「強制労働だ」とまで言い、
企業の側に責任があると断定していること。
徴用工、慰安婦の問題は、
日本政府はもちろん、
韓国政府も大きな問題を抱え込んできている。
両政府が、被害者とキチンと向き合ってこなかったという
矛盾が吹き出してきているのである。
どちらか一方の政府の問題ということではない。
韓国政府の経緯…
1965年の日韓個人請求権協定が結ばれた後、
1966年に「請求権資金の運用および管理に関する法律」を制定した。
日本政府は有償、無償合わせて5億ドルを払うが、
請求権の補償とは関係がないと言ってきたが、
韓国政府は、国内には、そういう主張は通せないので、
請求権の補償の為の金だと主張していた。
無償の2億ドルは補償に当てなければならないという事で、
1966年に「請求権資金の運用および管理に関する法律」を作った。
1971年に、やっとこの運用が具体化する。
申告できるのは、1945年8月15日以前に死亡した人だけ。
申告期間も限定的なものだった。
1974年、対日民間受給補償法で、1人30万と定められた。
非常に少額で、全体の10%しか補償には使われず、
多くの人が取り残されるという状況が生じた。
取り残された人々は運動を繰り広げ、
韓国の民主化が進み、2004〜05年に、大転換があった。
2005年、裁判が起こされた結果、日韓会談の文書が公開された。
民間の共同委員会が組織され、ここの声明文では、
「請求権協定というのは、韓日両国間の財政的、民事的、
債務関係を改善する為のものであって、
慰安婦問題など、日本の国家権力が関与した反人道的不法行為については、
請求権協定によって解決されるということはできない。」と発表。
ここでは、徴用工の被害についてはこれで解決されたにのはないか、
と読めるような下りが入っていた。
韓国政府は、日韓請求権協定によって、個人請求権は無くなっているから、
政府が代わって請求するのだというスタンスだった。
2004年、05年、韓国 大本院でも
反人道的行為においては、請求権協定の「範囲外」だという考えが、
示されるようになった。
ただし、徴用工については解決済みではないかという考え方だった。
2012年、大本院は、この考え方を転換させる判決を下す。
「植民地主義に直結した不法行為について未解決である」という考えだ。
2005年では反人道的不法行為と言ったが、それももちろん含めて、
植民地主義に直結した不法行為も未解決であるとした。
国民徴用令、国民総動員法という不法な植民地支配に作られた
法令に基づく「強制動員」も「日韓請求権協定の範囲外」だという考えが
示された。
冒頭に紹介した、2018年の大本院判決は、
この2012年の大本院判決が、やり直すよう命じ、差し戻して
再び上がってきた再上告審の判決だった。
要は、2012年の大本院判決こそは、
日本がもっと大騒ぎしなければならない、
劇的に変化した大きな判決だったのである。
2012年の時点で、
再上告審がどういう判決を下すかはすでにわかっており、
今日の事態は、予想されていたので、
その備えは始まっていて良かったものかもしれない。
このように、日本政府も、韓国政府も
見解が変わってきているのである。
日本政府み何度読んでも理解できないような言葉遣いで、
見解を変えてきているのは、事実である。
ーー
韓国の大本院は「植民地支配」が違法であるという考えで、
1965年年の時点から不法強制だとずっと一貫して、言ってきた。
しかし、日本は、
全く反対の「合法で正当だった」という考えを示してきた。
当時の国際法に照らし正当だっただけでなく、
日本は韓国の発展の水準を引き上げたと言ってきた。
だから、日韓請求権協定、日韓基本条約では、
植民地統治時代の事については触れなかった。
韓国は、「不法不当」
日本は、「合法正当」と主張した。
韓国側の「不法不当」の考えは一貫して変わっていないが、
日本側は、大きく転換させた。
1990年代に多くの歴代総理大臣の談話発表を通じて
植民地支配は「不当」であったという考え方をだすようになった。
「多大の損害と苦痛を与えた」という見解を公式に発表した。
政権が代わってもこの考えが踏襲されてきた。
安倍首相の談話は、
この点が、薄められているのはご承知のとおりである。
ーーー
徴用工の大本院判決が、
「日韓請求権協定に反する!」
「国際法の常識に反している!」というならば、
日本政府、日本の裁判所が、
国際法に反することをし続けていたということになる。
徴用工の問題を裁判所が取り扱うとは、何事だ!というならば、
日本政府こそが、日本の裁判所に、
徴用工問題を扱わせ続けてきたのである❗️
この論をとるなら、
国際法の常識に日本政府が反し続けてきたと読める。
ーーーー
【徴用工問題 日韓問題経緯】
徴用工判決
仲裁委員会 要請 徴用工問題
河野外務相 「極めて無礼」発言
安倍「韓国が国際条約を破っている」発言
安倍総理 韓国輸出規制
文在寅 韓国輸出規制に遺憾
文在寅 GSOMIA 破棄
よく解りますが…
経緯をみれば、
安倍や河野の言うように、
「韓国が国際法を守らない」
「日韓請求権協定でもう請求権はなくなった」というのは、
噴飯ものなのです。
はじめに、
賠償をしてもらいたいと望む原爆の被害にあった日本国民は、
国が「サンフランシスコ条約で請求権を放棄」していても、
「個人請求権は残っている」と言ったのは、
日本なのですよね。
従って、「日韓請求権協定」によっても、
「個人請求権は残っている」としたのは、
日本政府であり、日本の裁判所なんですよね。
安倍や河野の主張を通すとするなら、
日本の方が、ずっと国際条約を破っていたことになるわけです。
いや、当時の日本政府、裁判所の見解の方が、
真っ当だったのだと思いますよ。
国家と国家の問題よりも、
どこの国の人であろうとも、
ひどい被害を受けた人が、
なんの謝罪も賠償もなされていないままでは、
あんまりではないかということ。
先の戦争では、
日本政府によって、
天皇によって、
日本国民も酷い目に合いました。
沖縄戦で日本兵に殺された民間人は?
赤紙一枚で、徴兵され、
虐待、リンチが横行する軍隊に放り込まれ、
飢えて死んだ日本兵の霊は、
天皇に個人請求権を行使したいと思わないのでしょうか?
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徴用工問題と国際法 阿部浩己・明治学院大学教授 2019.9.5
司会 五味洋治さん 東京新聞
2018年 韓国大本院(最高裁判所)において
損害賠償を命じる3つの徴用工判決が下された。
①新日鉄住金 1件
②三菱重工業 2件
これは、一度 大本院にきて差し戻され、
再び上がってきた、再上告審判決である。
下級審においては原告が負けていたが、
2012年、最上級審である大本院が、もう一度やり直せ
という判決を出した。
そして、やり直しをした裁判が再び大本院にきたのだ。
2018年、その大本院の判決が下された。
《判決文の内容》
〜『損害賠償請求権』は、
『請求権協定』の適応対象に含まれるとはいえない。
日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民支配、
および侵略戦争の遂行と直結した、
日本企業の反人道的な不法行為を前提とする
強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権の訴えである。
これを上告審として認容する。
『請求権協定(1965年日韓国交正常化の際に締結)』は、
日本の不法な国民支配に対する
賠償請求をするための協定ではなくて、
両国間の財政的、民事的な債権債務関係を
政治的合意によって解決するためのものであったと考える。〜
日本の外務大臣は、この判決について談話を発表。
〜日韓関係の基礎は、『請求権協定』によって、
請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されており、
いかなる主張もすることができない。
にも関わらず、
2018年 一連の韓国大本院判決が日本企業に対して
損害賠償の支払い等を命じる判決を確定させた。
これらの判決は、日韓請求権協定第2条に明らかに反している。
その事によって、日韓関係の雲行きが怪しくなっていく。〜
1965年の「日韓請求権協定」…
これが今回の問題の大元になっている。
1965年の「日韓請求権協定」とは?
1965年は、日韓が国交を正常化した年で、
日韓の間で「基本条約」が結ばれ、
それと並んでいくつかの協定も結ばれた。
その一つが、「日韓請求権協定」である。
1951年に、日本が第二次世界大戦を終結させる
サンフランシスコ平和条約を結んだ。
その時に、戦争中の請求問題をどうするのか
という事について規定した条項が、
その条約に盛り込まれた訳だが、
ところが、そのサンフランシスコ平和条約に
韓国は参加していなかった。
サンフランシスコ平和条約の第4条では、
日本が植民地支配をしていた国、
韓国、台湾などとは、財産に関する問題は、
別にとりきめるように規定されていた。
つまり、財産請求権は別の取り決めをとるということが、
サンフランシスコ平和条約4条に記されていたのだ。
これに基づいて結ばれたのが1965年の日韓請求権協定なのである。
日韓請求権協定の内容は、
財産の処理 請求権を対象にする。
「日韓請求権協定」
前文には、財産請求権問題の解決と、両国間の経済協力、
これがこの協定の目的であるということが記されている。
第1条で経済協力の規定がある。
3億ドル相当の日本の生産物、日本人の役務の無償供与を約束する。
2億ドル分の海外経済協力基金を通じた長期の低利の貸付けを約束する。
大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならないと記されている。
第2条では日韓両国 両国民の財産、権利、および利益、そして請求権問題は、
これによって、完全かつ最終的に解決されたということを確認すると
記されている。
日韓請求権協定の2条には、
完全かつ最終的に解決されたものの中身というのは、詳しく書かれていない。
具体的中身については、1965年 「日韓合意議事録」が作成され、
署名されている。
「日韓合意議事録」には、
財産、権利、利益に関わる重要な一節が記されている。
日韓会談において、韓国側から提出された韓国の対日請求要綱、
いわゆる8項目の範囲に属する全ての請求が、
その財産、権利、および利益、請求権というものの中に含まれており、
従って、対日請求要綱に関しては
いかなる支障もなし得ないことになることも確認された、とある。
《財産、権利、および利益、請求権》の中身は
「日韓請求権協定」には書かれていないが、
「日韓合意議事録」に少し具体化した内容が書かれている。
では、「日韓合意議事録」に記された、
韓国の「対日請求要綱」8項目とは何か?
①〜⑧まであるが、今回の徴用工問題に関わるのは、
特に⑤である。
⑤日本に対する国債、日本銀行権、
日本徴用韓国人未収金、その他の請求権の弁済、
これについてはいかなる主張ももなし得ないことにする。
この日韓請求権協定を受けて、
日本は同年12月、「大韓民国等の財産権に関する措置法」を制定。
《財産、権利、および利益》…これを
「法律上の根拠に基づいた存在する実体的な財産」と定義した。
つまり、
「1965年時点で はっきり分かっていた財産に関する債権債務」が、
《財産、権利、および利益》…ということ。
それを消滅させるということが、この法律において明記されている。
《請求権》というのは、
1965年の時点では分かっていなかったが、
あとで損害などはっきりして、それに基づいて裁判に訴える、
そして、損害賠償を請求する、というもの。
《財産、権利、および利益》は、
1965年の日韓請求権協定の時点ではっきりと分かっていた債権債務。
《請求権》は、
1965年の日韓請求権協定の時点でまだはっきりしていない損害など。
1965年の「大韓民国等の財産権に関する措置法」は、
請求権に関しては、消滅させなかった。
日本では、このように措置された。
1965年の日韓協定というのは、
1951年から15年間にわたり、何度も中断を重ね、
最終的に第7次会談までもつれ込んで締結されたもの。
その過程で多くの日韓間の不一致が明るみに出てきた。
多くの不一致を「隠蔽」「誤魔化す形」で、
条約、あるいは協定が締結されてきたというのは、
すでに当時から解っていた。
「日韓請求権協定」締結で、
日韓において
《一致していなかった重要なところ 不一致》
《一致していたところ》を確認すると…
《不一致》日韓の見解が違っていたところは、2点ある。
⑴「日韓請求権協定」の1条と2条がどういう関係にあるのか、という点。
1条 3億ドルの無償供与、2億ドルの有償の貸し付け。
これは何の為のお金の支払いなのか?ということが問題になるが、
日本は一貫して、「1条と2条は関係がない」と言ってきた。
つまり、日本は、
1条は経済協力の為の金の支払いで、
2条はそれとは無関係の規定だ、
財産、権利、および利益、請求権を巡って保証しなければならないから
3億ドル、2億ドルの金を出すわけではない、
それは経済協力であり独立の祝賀金である、という考え。
なぜ、その金が、財産、権利、および利益、請求権の
保証であってはならなかったのかというと、
朝鮮半島に残してきた日本人の財産の保証がどうなるのか、
という問題が同時に出てきてしまう。
1条の金が保証の為だという事になると、
朝鮮半島に残してきた日本人の財産の保証は一体どうなるのか?
という問題が生じるからである。
こういう国内事情から1条と2条を日本は切り離したのである。
韓国側は、1条と2条は関係がある、という見解。
韓国は国内に向けて賠償をしてもらう必要があると言ってきたので、
2条の財産、権利、および利益、請求権の問題を解決していくための
金の支払いだ、としてきた。
⑵ 朝鮮半島の支配が合法だったのか不法だったのか?
という点についても日韓で一致していない。
「日韓基本条約」の《もはや無効》という言葉を巡ってである。
元々 無効だったのか? 後になって無効になったのか?について、
両方に解釈できるような文言が盛り込まれている。
これが禍根を残した。
次に、日韓が一致している点は…?
1965年「日韓請求権協定」というのは、
朝鮮半島が日本の領域だという国際法的な認識だったが、
韓国が領土の分離独立をすることになることに伴い生じる
財産、権利、および利益 請求権問題を解決するものであって、
日本が長期間にわたって朝鮮半島を支配していた
植民地時代の問題を解決する為のものではない。〜
この点では、日韓は一致していた。
「日韓請求権協定」は、
日韓の不一致を抱え込んでスタートしたのである。
ーー
日韓請求権協定の2条の請求権の問題の
「個人請求権」は
河野外務大臣や安倍首相の言うように「なくなっていた」のか?
日本政府、日本の裁判所の
「個人請求権」に関する見解はどうだったのか?
「日韓請求権協定」は、
元々「サンフランシスコ平和条約」の4条との関わりでできたもの。
「サンフランシスコ平和条約」自体においても、
戦後の賠償問題をどうするのかという問題の
日本と連合国との間で取り決めている。
日本は「請求権を放棄する」と記されている。
「日韓請求権協定」の個人請求権というのは、
「サンフランシスコ平和条約」の個人請求権の問題が
どう処理されたのかに密接に関わっている。
「サンフランシスコ平和条約」において、
日本および日本国民は、連合国に請求権を放棄した。
その後、最初に、
賠償請求を起こしたのは、日本人だった。
1950年代以降、日本では、
連合国に財産を押収された日本人、アメリカの原爆の被害者、
シベリアに抑留された人達などが、
損害の賠償をしてもらいたいと考えて、
本来は加害行為を働いた国に対して訴えたいが、
サンフランシスコ平和条約で請求権を放棄しているので
訴えることができない。
それは日本の国がしたことなので、
日本の国に保証をしてもらいたいと訴え出ることになった。
その際、日本政府は、「個人の請求権は無くなっていない」と主張した。
〜放棄したのは、日本国の権利、
つまり、日本は国が受けた被害、国民が受けた被害をの賠償を
代わって国が請求する権利を放棄したのであって、
被害を受けた個人が直接訴える権利は、
サンフランシスコ平和条約でも放棄していない。
だから、アメリカやソ連を直接訴えることはできる。
その権利を残してあるので日本国は保証する必要はない。〜
こういうロジックで裁判を行なった。
「国の請求権は放棄したが、個人請求権は放棄していない」というのが、
日本政府の見解だったのである。
1990年代になると、
今度は、日本によって被害を受けたアジアの人達が
訴えを起こしてくるようになった。
それまで日本は、裁判や国会などで
「個人請求権は残っている」と明言してきたので、
1991年 外務省条約局長が、日韓請求権協定においても、
「個人の請求権そのものを消滅させたのではない。」
国会答弁で明言をした。
つまり、日本政府は一貫して、
サンフランシスコ平和条約や日韓請求権協定では
「国家の権利(外交保護権)はなくなったが、
個人の請求権は残っている。」と言ってきた。
ところが、
2000年代になって日本政府は主張を変更した。
日本政府は、「同じだ」と言っているが、
阿部教授は「私のような者には、どこが同じなのか解らない。」と言う。
「請求に応ずべき法律上の義務が消滅した。
その結果、裁判が拒否されることになる。」
「それが個人請求権の処理の仕方なのだ」と主張するようになった。
主張の変更の背景には、
日本の国内の裁判において、
「原告の主張が通るようになってきた」という事情がある。
アメリカにおいて、
日本企業、あるいは、日本国が裁判を起こされるという状況が生じていた。
そういう背景事情があったのかもしれない。
いずれにせよ、2000年代から、
「実はサンフランシスコ平和条約によって、
請求に応ずべき法律上の義務がもうなくなった。
その結果、救済が拒否されることになっていたのだ」と
日本政府は、主張を変えるようになった。
2007年、「では、個人請求権はいったいどうなるのか?」について、
最高裁が重要な見解を示した。
新しい言葉使いが出てくる。
「法律上、訴求する権限が消滅したのだ」
つまり、「個人請求権は残っているけれども、
裁判に訴えることができなくなった。」
「それが、個人の請求権が放棄されたという言葉の意味である。」
と言っている。
日本政府の見解は、
1990年代には、「個人請求権は残っている。」
「国家の権利だけが消滅したのだ」と一貫していた。
⬇︎
2000年代には、
「個人請求権は残っているが、
訴えに応じる義務はなくなっていた。」と変わった。
⬇︎
2007年には、
日本の裁判所は、
「個人請求権は残っている
裁判に訴える権利はなくなった。」
裁判所は、重要なことを言っている。
「裁判に訴えることはできなくなったけれども、
請求権はなくなっているわけではない」
つまり、2007年の最高裁判決は、
「裁判所で解決することは、
サンフランシスコ平和条約などで、できなくなったけれども、
権利はある。実際に大変な被害を受けているので、
裁判の外で解決する道は残っている」という示唆を残していたのである。
個人の権利の訴えは、裁判外では排除されていないということだ。
一番 新しい 日本政府の見解は、
2018年11月、国会で示されている。
2007年の最高裁の判決を踏まえ、
「請求権は残っており、消滅していないけれども、
裁判では救済されない。」と見解を整理している。
徴用工の裁判は、日本でも沢山行われてきた。
端的に言って…
日本政府は、国内の徴用工裁判において、
日韓請求権協定などによって、
この問題が解決されるとは主張してこなかった。
国、あるいは、国と企業が訴えられる裁判例3つ。
カーモンド遺族会訴訟
キムソンイル裁判
日本製鐵韓国人元徴用工裁判
いずれも最高裁まで行って棄却される。
企業が徴用工を使役したが、国の政策としてそれを行った。
国にも責任があるとして訴えられた。
その時、日本政府は、
「日韓請求権協定によって徴用工問題は解決しているんだ」
という主張は行なっていないのである。
訴えが退けられた理由は、
「日韓請求権協定によって解決されているから訴えを退ける」というのではなく、
もっぱら国内の法律の論理だった。
《棄却された理由》
・戦前はそもそも国家は悪事をなさない、という考え方に基づいて
国の損害賠償を成立させる法律は存在していなかった。
つまり、国家の責任を問うことはできないという法理だった。
したがって、戦前の国の責任を問うことはできない。(国家無答責)
・企業については、たしかにその企業はそういう行為をしたが、
その企業は解散してしまい、全く別の法人になったので、
責任は追求できない。
他、企業だけを訴えられた場合も、
「日韓請求権協定によって解決されているから」ではなく、
「もう時効だから」という理由のものだったが、
ただし、企業だけを訴えられた場合、20世紀の間は、
ほとんど企業は和解(和解金を支払うなどして)をしてきた。
ーーー
2018年の韓国大本院 判決
新日鉄、住金、三菱重工に関わる3つの判決は、
いきなり韓国で訴えを起こされたわけではなく、
まず日本の中で訴えを起こされた。
日本の中で訴えを棄却され、納得できないということで、
改めて観光で訴えを起こしたのである。
「日本製鐵大阪製鉄所元徴用工損害賠償請求訴訟」
これが、日本製鐵、住金の徴用工裁判だったが、
大阪裁判所は、2001年3月 判決を下した。
「一部賃金の支払いを受けたものの、具体的な賃金額も知らされないまま、
残額は強制的に貯金させられ、常時監視下におかれ、労務から離脱出来ず、
食事も十分に与えられず、劣悪な労務環境の元、過酷極まりない作業に
自由を奪われた状態で相当期間従事させられた。」
「右は実質的な強制労働に該当し、違法と言わざるを得ない。」
「日本製鐵には、賃金未払い、強制労働、それぞれに関して、
債務不履行、違法労働に基づく損害賠償責任が認められる」
…とまで言っている。
しかし、訴えは棄却された。
なぜなら、日本製鐵が、企業としては解散してしまったからである。
そこで、新しく4つの会社に債務が承継されれば良かったが、
そうはならなかった。
三菱重工への訴えに関しても、棄却されたが、
これも時効の問題だった。
2005年の広島高等裁判所の判決では、
日本政府は「訴えに応じる義務がなくなった。」と
21世紀になって展開するようになった主張をここで始めて提出したが、
裁判所はこの主張を採用していない。
要するに、重要なことは、
日本政府は「日韓請求権協定で解決している」ことを理由に
棄却していないこと。
裁判所は、「強制労働だ」とまで言い、
企業の側に責任があると断定していること。
徴用工、慰安婦の問題は、
日本政府はもちろん、
韓国政府も大きな問題を抱え込んできている。
両政府が、被害者とキチンと向き合ってこなかったという
矛盾が吹き出してきているのである。
どちらか一方の政府の問題ということではない。
韓国政府の経緯…
1965年の日韓個人請求権協定が結ばれた後、
1966年に「請求権資金の運用および管理に関する法律」を制定した。
日本政府は有償、無償合わせて5億ドルを払うが、
請求権の補償とは関係がないと言ってきたが、
韓国政府は、国内には、そういう主張は通せないので、
請求権の補償の為の金だと主張していた。
無償の2億ドルは補償に当てなければならないという事で、
1966年に「請求権資金の運用および管理に関する法律」を作った。
1971年に、やっとこの運用が具体化する。
申告できるのは、1945年8月15日以前に死亡した人だけ。
申告期間も限定的なものだった。
1974年、対日民間受給補償法で、1人30万と定められた。
非常に少額で、全体の10%しか補償には使われず、
多くの人が取り残されるという状況が生じた。
取り残された人々は運動を繰り広げ、
韓国の民主化が進み、2004〜05年に、大転換があった。
2005年、裁判が起こされた結果、日韓会談の文書が公開された。
民間の共同委員会が組織され、ここの声明文では、
「請求権協定というのは、韓日両国間の財政的、民事的、
債務関係を改善する為のものであって、
慰安婦問題など、日本の国家権力が関与した反人道的不法行為については、
請求権協定によって解決されるということはできない。」と発表。
ここでは、徴用工の被害についてはこれで解決されたにのはないか、
と読めるような下りが入っていた。
韓国政府は、日韓請求権協定によって、個人請求権は無くなっているから、
政府が代わって請求するのだというスタンスだった。
2004年、05年、韓国 大本院でも
反人道的行為においては、請求権協定の「範囲外」だという考えが、
示されるようになった。
ただし、徴用工については解決済みではないかという考え方だった。
2012年、大本院は、この考え方を転換させる判決を下す。
「植民地主義に直結した不法行為について未解決である」という考えだ。
2005年では反人道的不法行為と言ったが、それももちろん含めて、
植民地主義に直結した不法行為も未解決であるとした。
国民徴用令、国民総動員法という不法な植民地支配に作られた
法令に基づく「強制動員」も「日韓請求権協定の範囲外」だという考えが
示された。
冒頭に紹介した、2018年の大本院判決は、
この2012年の大本院判決が、やり直すよう命じ、差し戻して
再び上がってきた再上告審の判決だった。
要は、2012年の大本院判決こそは、
日本がもっと大騒ぎしなければならない、
劇的に変化した大きな判決だったのである。
2012年の時点で、
再上告審がどういう判決を下すかはすでにわかっており、
今日の事態は、予想されていたので、
その備えは始まっていて良かったものかもしれない。
このように、日本政府も、韓国政府も
見解が変わってきているのである。
日本政府み何度読んでも理解できないような言葉遣いで、
見解を変えてきているのは、事実である。
ーー
韓国の大本院は「植民地支配」が違法であるという考えで、
1965年年の時点から不法強制だとずっと一貫して、言ってきた。
しかし、日本は、
全く反対の「合法で正当だった」という考えを示してきた。
当時の国際法に照らし正当だっただけでなく、
日本は韓国の発展の水準を引き上げたと言ってきた。
だから、日韓請求権協定、日韓基本条約では、
植民地統治時代の事については触れなかった。
韓国は、「不法不当」
日本は、「合法正当」と主張した。
韓国側の「不法不当」の考えは一貫して変わっていないが、
日本側は、大きく転換させた。
1990年代に多くの歴代総理大臣の談話発表を通じて
植民地支配は「不当」であったという考え方をだすようになった。
「多大の損害と苦痛を与えた」という見解を公式に発表した。
政権が代わってもこの考えが踏襲されてきた。
安倍首相の談話は、
この点が、薄められているのはご承知のとおりである。
ーーー
徴用工の大本院判決が、
「日韓請求権協定に反する!」
「国際法の常識に反している!」というならば、
日本政府、日本の裁判所が、
国際法に反することをし続けていたということになる。
徴用工の問題を裁判所が取り扱うとは、何事だ!というならば、
日本政府こそが、日本の裁判所に、
徴用工問題を扱わせ続けてきたのである❗️
この論をとるなら、
国際法の常識に日本政府が反し続けてきたと読める。
ーーーー
【徴用工問題 日韓問題経緯】
徴用工判決
仲裁委員会 要請 徴用工問題
河野外務相 「極めて無礼」発言
安倍「韓国が国際条約を破っている」発言
安倍総理 韓国輸出規制
文在寅 韓国輸出規制に遺憾
文在寅 GSOMIA 破棄