文在寅大統領の5・18光州民主化運動37周年記念式典メッセージ(日本語字幕)
文在寅は、1955年生まれ64歳。
米国の貨物船「メレディス・ヴィクトリー号に乗り、
北朝鮮の咸鏡南道から巨済島へ脱北した避難民の一家に生まれた。
1972年慶煕大学法科首席入学。奨学金で学んだ。
在学中には、朴正煕 独裁政権に反対する民主化デモの
中心的学生として逮捕され、西大門刑務所に収監された。(1975)
民主化運動に関わった若者は、ただちに兵役に服するよう
懲罰的な強制入隊が命じられる慣習から、
文在寅は、厳しい訓練で知られる特戦司令部第1空挺旅団に配属された。
1978年除隊。父の死を機に、一念発起し司法試験に挑み合格。
しかし、全斗煥(チョン・ドファン)l政権の軍部が民主化運動を弾圧した
「光州事件」に伴う非常戒厳の全国拡大措置による予備検束に掛かり、
逮捕され、司法試験の合格通知書は拘置所で受け取った。(1980)
民主運動家という経歴のため志望していた裁判官の道は絶たれたが、
庶民を助ける人権派弁護士を志し、
大手の法律事務所からのオファーを断り、
釜山で活動していた弁護士・盧武鉉(ノ・ムヒョン)の法律事務所に入所し、
「弁護士盧武鉉・文在寅合同法律事務所」を開設。(1982)
全斗煥独裁政権が赤狩りと称して大学生や社会活動家たちを拘留尋問した
「釜林事件」の弁護を盧武鉉と共に担当した。
朴正煕政権~全斗煥政権期の軍事政権時代、
1970年代から1980年代にかけて、
金大中と伴に代表的な野党政治家・民主化運動家の
金泳三(キムヨンサム)から、文在寅も盧武鉉と共に政界入り勧められ、
文在寅は固辞。盧武鉉は国会議員となる。
1993年、金泳三の政権発足当初から
「民族の他に同盟に勝るものはない」と言い、
金日成主席は金泳三の言葉を歓迎し、
結果的に訪朝したカーター元大統領を通じて南北首脳会談に応じた。
ところが、金日成主席が急死し、首脳会談は流れてしまう。
2000年、後任の「太陽政策」の金大中大統領が、
北朝鮮金正日総書記との首脳会談を実現させ、
ノーベル平和賞を受賞した。
2002年盧武鉉が大統領選挙に立候補し当選。
盧武鉉政権が発足すると
文在寅は、側近として大統領府 民情首席秘書官に就任するも、
1年で辞任し、ヒマラヤへ登山の旅にでる。
ところが、旅行中に、朋友の盧武鉉が国会に弾劾訴追されたことを知る。
盧武鉉政権は国会における支持は弱く
少数与党での国政運営を強いられた。
与野党ともに大統領選挙における不正資金疑惑が浮上し、
ハンナラ党は民主党と共闘し、盧武鉉への弾劾訴追を推進。
国民は、盧武鉉弾劾訴追に反対する大規模なキャンドル集会を開いた。
文在寅は、弁護団幹事として盧武鉉を助け、裁判所は弾劾追訴を棄却。
盧武鉉は、大統領職務に復帰。
文在寅も市民社会首席として大統領府に復帰し、
2007年には大統領秘書室長となるなど、
「盧武鉉の影法師」と呼ばれる側近中の側近として活躍した。
2007年10月、金大中の太陽政策を継承した盧武鉉は、
北朝鮮の平壌を訪問して北朝鮮の金正日総書記と会談を行い、
文在寅は推進委員長として、朝鮮戦争終結を目指す
「10・4宣言」採択した。
しかし、盧武鉉が大統領任期を終えて退任後も、
朴正煕・全斗煥などの軍事政権の流れを汲む親米保守系政党
ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)が大統領に就任し、
政敵の狙い撃ちする一連の動きとして盧武鉉への圧力工作があった。
盧武鉉は、不正資金疑惑で検察の事情聴取を受けており、
2009年5月23日、その最中に「あまりに辛いことが多かった」
という遺書を遺して自殺した。
しかし、盧武鉉の死は、現在も暗殺説が絶えない。
盧武鉉の死の3ヶ月後、2009年8月18日、金大中が死去する。
金大中は、死の2ヶ月前に、
文在寅をはじめ、金大中の民主化運動の魂を受け継ぐ側近の朴智元や、
丁世均、安熙正らを呼び、
「必ず政権交代を果たしてほしい、君たちがやらねばならない」と
バトンを渡す言葉を遺した。
文在寅は、金大中の遺志を受けて政界入りを決意。
2012年、民主党候補に選出され大統領選出馬。
大きな指示を受け与党 セヌリ党の朴槿恵と激戦を繰り広げ、
僅かな差で惜敗。
2016年10月、朴槿恵政権の崔順実ゲート事件が発生。
光化門広場には国民の大規模なデモが行われ、
文在寅も2017年3月の憲法裁判所の大統領弾劾決定まで
毎週土曜日に開かれた朴槿恵退陣要求デモに参加し続けた。
2017年5月9日の大統領選に出馬。
投開票の結果は、全国で13,423,800票、
得票率41.08%を獲得し圧勝した。
2位との票差は歴代の韓国大統領選挙史上最大であった。
2017年7月、北朝鮮が大陸間弾道ミサイルICBM「火星14」の
発射実験を行い、米大陸全域を射程に収め、
9月、6度目の核実験を実施。核開発に成功。
北朝鮮問題が緊迫化する中、
文在寅大統領は、6月にはトランプ大統領と会談し、
THAADの配備を懸案事項として押し留める努力をした。
7月G20出席。北朝鮮問題に圧力路線の日本の安倍総理とも初会談し、
日米韓の調整に努め、中国国家主席習近平、
ロシアのプーチン大統領とも会談し、北朝鮮との対話の場を模索。
2018年3月5日、文在寅は、鄭義溶国家安全保障室長を
特使として訪朝させ、鄭義溶は具体的な南北首脳会談について
金正恩と会談。
2018年4月27日午前9時27分、
板門店の軍事境界線越しに金正恩と文在寅と握手した。
金正恩が「本当に感動的だ」と語ると
文在寅は「金委員長の英断だった」と応じた。
文在寅が「こちらに立ちますか」と声をかけ、
金正恩は軍事境界線を越境して韓国側に入った。
1945年に朝鮮半島が南北に分断されて以後、
北朝鮮の最高指導者が韓国の領内に入国するのはこれが初めてであった。
文在寅が「私はいつ越えられるか」と述べると、
金は「今越えますか?」と誘い、
2人は手をつないで軍事境界線を越えて北朝鮮側に足を踏み入れた。
〜関連過去記事より〜
2018年05月05日(土)【文在寅ドキュメンタリー】
金大中・盧武鉉そして虎の背に乗ってやってきた太陽の男・文在寅